彼我の小説の違いについて 旨いもの編(1)

文=楠瀬啓之

映画『珈琲時光』の日本公開時に、
PRのために来日した侯孝賢監督と吉田修一さんの対談を企画したところ、
お二人が語る台北という都市がやたらと面白そうで、すぐ遊びに行ったんです。
噂通り街も人も風物も楽しかったのですが、その後、
子どもが生まれるわ、雑誌の創刊にかかわるわでバタバタしているうちに、
するすると時間は過ぎて、『路』を読んだり、
映画『あの頃、君を追いかけた』や『セデック・バレ』を観たりするたびに
「また台湾行きてー」と思いながら10年も経っていました。

今回はトークイベントのある窪美澄さんにくっついての台北行きでしたが、
事前に渡されたイベントの質問事項を眺めて、窪さん共々びっくりしたのは、
「日本の小説はなぜ〈食〉を描くことが多いのか」という質問。
うーむ、食を描かない小説はあるのか。
いやそれはまああるだろうけれど、しかし描いても当然で、
こういう質問をされること自体が
彼我の小説の違いを如実に表しているようで面白かったのです
(もう一つ、面白い質問があったのですが、それはまた別の話の時に)。

窪さんの(あるいは多くの日本の作家の)小説で、
登場人物に何をどんなふうにどんな設定で食べさせるかは重要です。
最近読んだ窪さんのある短篇小説では、
食べ物の違いで人物たちの社会階級の違いを浮き上がらせていましたし、
読者の感覚に訴える力も具体的で重く、強烈でした。
小説の中でいかにも旨そうに食べ物を書く作家といえば池波正太郎がいますが、
あの時代小説の大家は「食べ物のことを小説に書くのは、読者サービスなどではなく、
季節感や登場人物の心理状態を表すためだ」と語っていました。

日本の作家で、台湾をめぐる小説を書いた最初の一人に佐藤春夫がいます。
たとえば台南を舞台にした『女誡扇綺譚』、
たとえばサラマオ蕃事件を扱った『霧社』。
佐藤がそもそも台湾へ旅したのは、
谷崎潤一郎と谷崎夫人をめぐる三角関係に陥った末の憂鬱を晴らすため
ともいわれています(もっとも、台湾から帰ってきた直後に
3人の関係はいよいよ複雑化するのですが)。
そして佐藤の作品で最も人口に膾炙しているのはいうまでもなく、
小説ではなくて詩になりますが、「秋刀魚の歌」。
発表は台湾行きの翌年の1921年です。谷崎夫人との恋愛が背景にある詩で、
あの脂がのって、焼くともうもうと煙をあげる細長い銀色の魚が、
ここでは人生の哀歓をすくいとる絶妙な小道具となっています。
はらわたの苦味や、したたらせる「青き蜜柑の酸」が、
異なる家庭や文化を背負って生きてきた男女の境遇と
恋情と切ない機微を鮮やかに伝えるのです。

これは日本の文芸の典型的な技法の一つなのですが、
台湾ではどうも違うのですね。
トークイベントの合間に行われた台日作家・編集者の交流会の席上、
逆に「どうして台湾の小説は食を描かないのですか」と
台北の若い男性編集者某君に訊ねたところ、全くピンとこないみたいで、
「だって小説は観念や社会を描くものだから」という答え。
聞文堂の天野さんの通訳は作家の張維中さんが舌を巻いたほどですから、
こちらの言う意味が通じていないとは思えません。
そこでちょっと反則技じみていましたが、
「村上春樹さんや吉本ばななさんは台湾でも人気なんでしょう?
彼らの小説には食べ物がいっぱい出てきて、
重要な小道具になってますよね。
ああいう技法を取り入れようとは思わないんでしょうか」と押しても、
「それでは春樹さんの真似になるじゃないですか」。
このまるで通じない感じは面白かったなあ。
つまり、彼の意図していない形で、日本文学批判にもなっているんです。

確かに日本の小説は、
(食の描写にも助けられて)情緒や心理を描くのに長けているが、
観念や社会を描くことはそれほど得手ではないかもしれない。
しかしそれはそうかもしれないけれども、
日本の小説も成熟してきて、窪さんのように、
食から社会が見えてくる書き方や、観念的な人物を
リアルに肉づけしていくために食を描く書き方だってあるはずです。
そして、もしも谷崎潤一郎や大江健三郎や吉行淳之介や開高健の
(そして多くの現役日本人作家の)小説から食が抜け落ちると、
匂いと華と現実感が乏しくなって、魅力が減ずるように感じます。

そういえば、張維中さんの「天地無用」という短篇小説を天野さんの訳で読んで、
台湾の女性と東京の青年との恋愛以前の交渉を扱いながら、
人間関係の距離や時間やさまざまな変化を巧みに描いていて、
ぼくはすっかり夢中になりましたが、良い悪いでは全くなく、
この台湾文学にも食は出てきませんでした。
異なる二つの文化を触れ合わせる時、日本人作家ならば
(佐藤春夫のように)食という小道具を使うのではないでしょうか。
この彼我の差はどうして生じたのか。

近代小説を西洋から移入する際に違いが生まれたのか。
台湾人と日本人では小説に対するそもそもの考え方が違うのか。

もう一つの可能性としては、日本に比べて台湾は食が貧しいからだ、
という仮説もあり得るでしょう。
しかし、この仮説は台北の街へ一歩出ればあっさり崩れ去ります。
馬鹿みたいな感想になりますが、実にまあ何を食べてもおいしい。
路傍で売っている果実も夜市の屋台のあれこれもいいし、
きちんと手をかけた料理も旨い。
イベントでお会いした一青妙さん(妹さんは『珈琲時光』の主演女優!)に
勧められて台北駅まで買いにいった、
「懐旧排骨菜飯弁当」という駅弁も素晴らしかった。
蒸されているので熱々。100元(約300円)でした。
汽車に乗って食べてみたかったですねえ。

蒋介石は日本の陸軍にいた時、将校たちが冷飯の弁当を使っているのを見て
質素倹約ぶりに感心したそうですが、これはくすぐったくなるような話で、
日本人は冷飯をあまりマズイとは思わないのですね。
ところが一青さんはお父さまが台湾人のせいか、冷たくなったご飯が苦手で、
台湾の駅弁は嬉しいと自伝的エッセイに書いていました。
確かにあれはうれしい味。

台北の食事はどれもおいしいけれど、台南も旨いんですってねと訊ねると、
台北の人はみんな微妙な顔になって、
「台南の味もいいですけど、
台北へは台南も客家もほかのおいしい料理も入ってきているから……」と
決して台南料理を手放しでは褒めずに、台北のほうが上だと言外に匂わせるんです。
こういう郷土愛の発露、控えめなお国自慢をする台北人気質が大好きでした。

(続きます!)

楠瀬啓之(くすのせひろゆき)
新潮社出版部副編集長。『週刊新潮』『小説新潮』を経て『yomyom』創刊に加わり、現在に至る。
これまで関わった本に川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』、城山三郎『そうか、もう君はいないのか』、太田光『マボロシの鳥』など。最新の担当本は小林秀雄『学生との対話』、ミルン/阿川佐和子訳『ウィニー・ザ・プー』。新潮社のサイトはこちら。新潮社出版部のツイッターアカウントはこちら