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歴史をひも解く際に注意深くあらねばならぬであろうことの一つに、
ほどこうとしている歴史が、どんな部分の事柄に、どんな立場の人が、
どういうスポットライトを当てようとしているのか——があります。
眼差しのありようが変われば歴史はいとも簡単に変わるもの。
では、台湾史にかかわる書籍はどんな眼差しをもって描かれているのでしょうか。
多様な台湾の、多面的な奥深さを、じっくり味わってみませんか。

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概説書を読んでみる(1)

 
文=黒羽夏彦 

台湾は多民族社会であるとご存じだろうか。17世紀以降に対岸から渡ってきた閩南〔みんなん〕系や客家系、1945年以降に国民党政権と共に来台したいわゆる外省人、そして漢族系の人々が渡来する以前から台湾にいたオーストロネシア系の原住民——こうしたさまざまな来歴の人々が、日本の九州とほぼ同じくらいの大きさの島の中で肩を寄せ合って暮らしている(中国語で「先住民」というと、すでに滅んでしまった民族というニュアンスを帯びるため、台湾では「原住民」と記される。また、1945年以前から台湾に住んでいた人々は本省人と呼ばれる)。歴史的に振り返ってみても、17世紀にはオランダやスペインの、20世紀前半には日本の植民地支配を受けた。

こうした複雑な重層性を特徴とする台湾の歴史と向き合ったとき、意外と一筋縄ではいかない難しさに気付かされる。今回は、比較的入手しやすい概説書(主に新書)を取り上げながら、台湾史を考える上で注意すべき点をまとめてみたい。

台湾史は多面体のプリズムのようなもの。見る人の解釈に応じて異なった相貌が浮かび上がる。それだけ見る側の思考力が試されるし、そこがまた台湾史の醍醐味といってもいい。歴史叙述はすべからくこうした問題から逃れられないものだが、台湾史の場合は特に顕著と思われる。概説書であっても、書き手の思想的立場や書かれた当時の時代背景によって、解釈や力点の置き方が大きく異なる。それぞれの論調の相違を確認しながら俯瞰してみると、そうした作業自体がメタなレベルでもう一つの台湾史にもなり得る。

たとえば、戴國煇『台湾──人間・歴史・心性』(岩波新書、1988年)と伊藤潔『台湾──四百年の歴史と展望』(中公新書、1993年)を読み比べてみよう。両方とも古代から現代まで叙述の時代配分はバランスがとれており、新書サイズの概説として良書である。しかしながら、日本統治の評価、二二八事件(本省人と外省人との対立を深めるきっかけになった)、中台統一問題など政治的にナーバスな部分では注意を要する。

伊藤潔は日本に帰化した台湾人である。台湾独立運動に身を投じた経歴を持ち、国民党政権への批判意識から反転して日本統治への評価が相対的に高い。他方、戴國煇は中台統一を自然の流れと考えており、中国人という自覚を持つ立場から日本帝国主義の負の側面に目を向ける。客家系であるため、台湾ナショナリズムが人口で多数派を占める閩南系中心主義に陥りかねない危うさも感じていたようだ。

ここで留意しておく必要があるのは、両者の相違は相対的な力点の置き方であること。戴國煇は中台統一を支持してはいるが、国民党と共産党、双方の政治的統治の実態に対しては批判的な視線を持っていた。伊藤潔も日本統治を全面肯定しているわけではない。結果論として台湾の近代化に貢献したということであり、台湾人の差別待遇など負の側面にも言及している。二人とも自らが歴史の当事者であるがゆえに、政治的論点をめぐっては叙述がアンバランスにならざるを得なかった背景を汲み取る必要があろう。

(続きます!)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA黒羽夏彦(くろはなつひこ)
台湾専門ブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」、書評ブログ「ものろぎや・そりてえる」を運営。1974年生まれ。出版社勤務を経て、2014年3月より台南の国立成功大学文学院華語中心へ留学。東アジアの近現代に交錯したさまざまな人物群像に関心を持ち、台湾に視点を置いて見つめ直したいと考えている。