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文=赤松美和子

一国家一言語一文学という近代文学の常識を鮮やかに覆し、
漢文、中国語、日本語、台湾語など多様な言語からなる台湾文学。
この多元性、ハイブリッド性こそが台湾文学のいちばんの特徴です。
本コラム初回は、清代末期の台湾、日本統治期の台湾の文学史について、概観しました。
続いては、中華民国期になってからの台湾文学史を70年代までたどります。

#1清朝〜日本統治時代はこちら→
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1945年以降——日本語から中国語へ

 1945年、日本が台湾から引き揚げ、植民地統治は終了し、台湾は「祖国復帰」を果たしました。中国語と日本語を併用した『台湾新生報』、『中華日報』など新聞の文芸欄も文学のメディアとして始動し始め、ようやく自由な文学活動が永久に可能になるかに思われました。
 しかし、共産党に敗れた国民党軍とその家族、関係者など約200万人が大挙して台湾に移住してきます。台湾はまた新たな統治者を迎えることになったのです。
 1947年2月28日、闇タバコ取締事件は二二八事件1へと拡大、国民党政府への抗議やデモに対し政府は武力弾圧を行います。1949年、戒厳令施行、自由な言論活動は難しい状態に陥ります。
 国民党統治下となった台湾の国語は日本語から中国語に取って代わりました。これまで日本語で創作していた作家たちは、今度はいきなり中国語で作品を書くことが求められたのです。

1950年代——反共文学

 1950年代、国民党政権下の台湾では、大陸反攻反共産を訴える反共文学が台湾の文学の中心とされていきます。大陸から移住してきた作家たちに、朱西甯(1927-98)、司馬中原(1933-)など国民党軍出身の軍中作家たちも反共文学の担い手として加わっていきました。しかし、中国語で創作する作家、読者は圧倒的に不足していました。
 国民党は、反共文学を推進するために文学賞や文芸雑誌、大陸から来た外省人の作家を中心とした中国文芸協会など作家組織も作りました。それに対して中国青年反共救国団は、戦前から台湾に住んでいた本省人の青年作家も加えた中国青年写作協会を組織し、青年文芸雑誌『幼獅文芸』を創刊し、文学キャンプを主催するなど、学校や地方の各救国団とも連結しながら、作家、読者の増産を試みました。
 一方、台湾に生まれ日本語教育を受け、1948年に台湾から香港へ亡命し、54年に香港から日本へ移住した邱永漢(1924-2012)は、55年に小説「香港」で、第34回直木三十五賞を受賞しています。

1960年代——西欧文学の受容

 1960年代になると、林海音(1918-2001)『城南旧事』(1960)など懐郷文学といわれる大陸を懐かしむ小説も流行します。柏楊(1920-2008)がビルマの国民党の残留孤児を描いた小説『異域』(1961)は衝撃をもって人々に受け入れられました。
 一方、アメリカの援助による欧米の文化、思想の受容は、台湾の文学創作にも影響を与えます。国民党による言論統制の下、五四以降の中国近代文学や戦前台湾の文学を継承できなかった青年たちは、西欧文学の受容を試みます。白先勇(1937-)、王文興(1939-)、陳若曦(1938-)など台湾大学外文系に在籍していた作家は、1960年に雑誌『現代文学』を創刊し、モダニズム小説を発表、その後の台湾文学に一つの方向性を与えました。白先勇が『現代文学』などに発表した小説14篇は、短篇集『台北人』(1971)に所収されています。
 戦前に日本語教育を受けた世代の中にも、中国語での創作を試み、台湾の文学を作り出していく作家も現れ始めました。64年、林亨泰(1924-)、陳千武(1922-2012)、李魁賢(1937-)らが詩社「笠」を設立、『アジアの孤児』の作者である呉濁流(1900-76)は雑誌『台湾文芸』を創刊、本省人作家たちの精神的支柱となっていきます。
 台湾に住み続けながらも中国語の主流派の文学界とは一線を画し、日本語で書き続けた作家もいます。たとえば、黄霊芝(1928-)は、1962年に「蟹」を群像新人文学賞に応募し、一次選考を通過しています。2

1970年代——郷土文学

 1970年代、71年の中華民国の国連脱退、72年の米大統領ニクソンの北京訪問、日中国交正常化に伴う日華断交など、国際社会における中華民国の立場は次第に揺らいでいきます。一方で、台湾に暮らしいる人々にとっては台湾という自分たちが生きる土地を認識する契機ともなりました。台湾というものへの意識の変化は、文学にも表れます。台湾の現実への関心を書かんとする郷土文学の誕生です。
 黄春明(1935-)『さよなら・再見』(1973)は、台湾人青年ガイドと日本人買春観光団とのやり取りをアイロニカルに描いた作品です。1979年に日本でも出版され重版になりました。黄春明を始め、王禎和(1940-)、王拓(1944-)、宋沢萊(1952-)などが郷土文学の代表的な作家です。3
 77年から78年にかけて、文化大革命終焉後の中国大陸の政治動向に敏感に反応していた国民党政府に近い作家によって、王拓ら郷土文学を提唱する作家たちは左翼文学の提唱者だと危険視されたことを契機として郷土文学論争が起こります。4翌1979年に塩分地帯文学キャンプが始まります。
郷土文学論争を受け、翌1979年に塩分地帯文学キャンプが始まります。これは、台湾本土文学教育の場の必要性から始まったもので、台湾文学を標榜することになる本土文学のルーツの一つです。第一回目のキャンプには、日本語世代の本省人作家たち、戦後生まれの本省人作家たちに加え、外省人作家たちなど合わせて100名以上の作家たちが参加しています。80年代前後の台湾の文学の場では、本省人作家対外省人作家という単純な二項対立ではなく、台湾の文学というものへの共有意識を形成しようとしていたことがうかがわれます。
 郷土文学作家以外にも、張系国(1944-)は、SF小説を多く発表し5、大衆文学の世界では、恋愛小説を多数発表した瓊瑤(1938-)が爆発的な人気を博しました。
 台湾語の詩作も試み始められます。林宗源(1935-)は、70年代に台湾語による詩の創作を始め、続いて向陽(1955-)も1976年より台湾語でも詩作を始め現在に至ります。

 70年代までで、すでに現在のハイブリッドな台湾文学の芽がさまざまな形で表れています。次回は80年代から2000年代までの台湾文学をたどります。

(続きます!)

10250674_794106527269313_1092258525_n赤松美和子(あかまつみわこ)
大妻女子大学比較文化学部准教授。
博士(人文科学)。1977年、兵庫県生まれ。
2008年、お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了。専門は台湾文学。
著書に『台湾文学と文学キャンプ―読者と作家のインタラクティブな創造空間』(東方書店)がある。

  1. 1947年2月27日の闇タバコ取締事件をきかっけとする、台湾で起きた民衆の抗争とそれに対する政府の武力鎮圧 []
  2. 「蟹」所収の短篇集『宋王之印』(岡崎郁子編)は、黄霊芝の日本時代の名前である国江春菁名義で2002年に慶友社から日本で出版されている。 []
  3. 郷土文学作家の作品は『鹿港からきた男』(国書刊行会)に所収。 []
  4. 許菁娟「台湾における郷土文学論争(一九七七 – 七八年)に関する考察」(『一橋論叢』153(3)、2006)参照。 []
  5. 『星雲組曲』(国書刊行会)所収。 []