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文=赤松美和子

一国家一言語一文学という近代文学の常識を鮮やかに覆し、
漢文、中国語、日本語、台湾語など多様な言語からなる台湾文学。
この多元性、ハイブリッド性こそが台湾文学のいちばんの特徴です。
台湾文学史をたどる最終回は、80年代から2000年代を見ていきます。

#1清朝〜日本統治時代はこちら→
#2終戦〜70年代まではこちら→
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1980年代——政治文学、フェミニズム文学

 1979年、美麗島事件1が起こり民主化運動は激化し、その影響が80年代になるとさまざまな形で表れ始めます。郷土文学論争を経た文学の世界では郷土文学に加え、政治文学、フェミニズム文学が多く発表されます。
 鄭清文(1932-)は1979年に「三本足の馬」を著し、李喬(1934-)は日本統治初期のある客家の家族が翻弄される様を描いた『寒夜三部曲』を1981年に発表しました。李昂(1952-)は1982年に『夫殺し』を発表、郷土文学×フェミニズム文学として強烈なインパクトを与えます。
 陳映真(1937-)は1983年に、白色テロで処刑された兄の妻と名乗る女性の生き様を通して現代(80年代)から50年代を回顧して描いた「山道」を発表します。黄凡(1950-)が発表した台湾独立運動の元リーダーの姿を描いた「頼索」(1980)、張大春(1957-)の国民党と共に台湾に渡り台湾に生きた外省人第1世代を外省人第2世代の息子の目から戯画化した「将軍の記念碑」(1986)、平路(1953-)のアメリカに舞台を借りて台湾社会をパロディ化した「奇蹟の台湾」(1990)など、ポストモダン小説の技法を用いながら台湾の現状をアイロニカルに描いた政治文学が多数発表され、高い評価を受けていきます。85年、龍応台(1952-)の散文集『野火集』は、国民党独裁の台湾社会を痛烈に批判し、ベストセラーとなりました。
 文学メディアも、1984年に総合文芸雑誌『聯合文学』が創刊され、新聞の副刊(別冊文芸欄)共に台湾文学界を牽引していきます。
 87年戒厳令解除に伴い次第に政治的束縛がなくなり、これまで抑圧されてきた文芸活動が一気に萌芽し、多彩な文学が現れます。
 70年代に萌芽した台湾語文学も、80年代に入り、宋沢萊(1952-)、黄勁連(1947-)、李勤岸(1951-)なども加わり、従来の詩だけではなく、小説や散文も創作され始めます。
 原住民文化運動によって、創作文学としての台湾原住民文学が生まれたのも80年代でした。パイワン族の陳英雄(1941-)がすでに60年代に作品を発表しているものの、この台湾原住民文化運動によって豊穣なる原住民文学の幕が開き最初に登場したのが、ブヌン族の小説家トパス・タナピマ(1960-)、詩人としてはパイワン族モーナノン(1956-)でした。

1990年代―台湾史を語る文学から多元化文学へ

 1991年に李昂(1952-)が発表した『迷いの園』は、「私は日清戦争の末年に生まれました」で始まり、学校で教わった中華民国史に対して、女性主人公が自分の誕生の記憶を日本統治開始と重ね合わせ日本時代に遡及し台湾史を物語ります。本書は、政治文学、フェミニズム文学でもあり、ポストコロニアル文学でもあります。このように本省人、外省人2世、原住民など、さまざまな立場から自分たちの台湾史を語る小説の形式は戒厳令解除後のポストコロニアルな台湾文学の語り方の一つの特徴です。
 こうした自分の記憶を物語ることで台湾史を確定していこうとする傾向に一石を投じたのが、朱天心(1956-)が1997年に発表した「古都」です。「まさか、あなたの記憶が何の意味もないなんて」という一文で始まるこの作品は、記憶の不確かさを描いたがゆえに多様な読みが可能なポストモダン小説でもあります。
 80年代に幕を開けた原住民による文学は、80年代後半から90年代にかけての「回帰部落(部落へ帰る)」運動を通じて、故郷を再発見した原住民作家の作品が、90年代以降さらに注目を集めていきます。タイヤル族のワリス・ノカン(1961-)は、90年に雑誌『猟人文化』を創刊し、原住民文学の旗手となります。パイワン族で外省人2世のリカラッ・アウー(1969-)は、自分が継承した原住民の文化を若者に継承できない老婆の気持ちを「誰がこの衣装を着るのだろうか」(1996)に著しました。タオ族のシャマン・ラポガン(1957-)「黒い胸びれ」(1999)はトビウオ漁を中心にタオ族の祖先から伝えられた風習を描いた作品で、原住民作家が創作した最初の長編小説です。2
 60年代に端を発すマレーシア華人による創作と文学活動も豊穣なる広がりを見せます。李永平『吉陵鎮ものがたり』(1986)、黄錦樹(1967-)「魚の骨」(1995)など、華僑華人の複雑な離散と感傷を描き出した作品が多数あります。近年では、マレーシア出身の台湾在住華人の作品群は、台湾馬華文学と呼ばれています。
 1977年に白先勇が連載を開始した同性愛文学の経典といわれる『孽子』の誕生から17年後の94年、2冊の同性愛文学が出版されました。邱妙津(1969-95)が発表した女友達への愛情に苦しむ女子大生の葛藤を描いた『ある鰐の手記』、男性同性愛者の手記を小説化した朱天文(1956-)『荒人手記』です。これら2作品は、文学賞受賞など高い評価を受け、その後、陳雪(1970-)『悪女書』(1995)、紀大偉(1972-)「膜」(1995)といった多数のセクシュアル・マイノリティ文学の誕生を導きました。
 一方、創作発表メディアも、インターネットの出現により大きく変化しました。当時、成功大学の大学院生であった痞子蔡(1969-)は、1998年にブログに「第一次的親密接触」を連載し、台湾はもとより、海を越えて中国の学生たちにも読まれ、台湾、中国におけるネット文学の先駆けとなりました。その後、九把刀(1978-)など人気作家を生み出します。
 母語文学が注目を集める中、客家語文学もようやく発表されます。客家人作家であり詩社「笠」の同人でもある曾貴海(1946-)は、2000年に客家語の詩集『原郷、夜合』を出版しました。
 戒厳令解除に伴う民主化により、政治的タブーは次第に消滅し、80年代に萌芽した多彩な文学は百花繚乱の様相を呈し、郷土文学、政治文学、フェミニズム文学、ポストコロニアル文学、ポストモダン文学、原住民文学、馬華文学、セクシュアル・マイノリティ文学、台湾語文学、客家語文学として、それぞれに結実し、ハイブリッドな台湾文学を形成するに至ります。

2000年代——台湾文学研究機関の誕生

 「台湾文学」を冠する研究機関が生まれたのは2000年になってからでした。大学としては2000年8月に台南の国立成功大学に台湾文学研究所が創設されます。これが台湾最初の台湾文学研究所です。2003年には国家台湾文学館が台南に開館しました。こうした官立の台湾文学研究機関の誕生は、台湾の文学を、中国文学、或いは日本文学の周縁である一地域の文学から、「台湾文学」という政府公認の一文学に押し上げました。

 台湾文学は、言語に着目するだけでも、漢文、日本語、中国語、台湾語、客家語など複数の言語から成るハイブリッドな文学です。これは、国民国家が成立した東アジアの近代において、台湾が一国家一言語一文学という近代国家意識に如何に翻弄され闘ってきたかという証左であり、一言語一国家文学という枠組みを超越ししなやかに書き続け熱く語り続けてきた結果なのです。

 来月からは、台湾文学を紡ぎ出す作家たちを一人ずつ紹介していきます。

(次回は来月更新の予定です!)

10250674_794106527269313_1092258525_n赤松美和子(あかまつみわこ)
大妻女子大学比較文化学部准教授。
博士(人文科学)。1977年、兵庫県生まれ。
2008年、お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了。専門は台湾文学。
著書に『台湾文学と文学キャンプ―読者と作家のインタラクティブな創造空間』(東方書店)がある。

  1. 1979年12月、世界人権デーに高雄市で行われた雑誌『美麗島』主催の集会に対する弾圧事件。後に民進党指導層となる人物たちが有罪判決を受け、台湾の民主化に大きな影響を与えた。高雄事件ともいう。 []
  2. 魚住悦子「台湾原住民族作家たちの「回帰部落」とその後」(『日本台湾学会報』第7号、2005年)を参照した。 []