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文=赤松美和子

 台湾文学は何語で書かれているでしょう?
 原住民の口承文学に始まった台湾文学は、一国家一言語一文学という近代文学の常識を鮮やかに覆し、漢文、中国語、日本語、台湾語など多様な言語からなっています。この多元性、ハイブリッド性こそが台湾文学のいちばんの特徴です。本コラムでは、こうした台湾文学のハイブリッド性を感じていただけるように、まず台湾文学史を概観した上で、作家を一人ずつご紹介していきます。
 初回は、日本語で読める台湾文学入門書『講座 台湾文学』(国書刊行会)、『台湾文学この百年』(東方書店)などの書籍を参照しながら、清代末期、日本統治期、中華民国期の三つの時代の台湾文学史を、創作言語との関係にも注視した上で、駆け足でたどってみます。

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清代末期(-1895)

 1895年、下関条約により日本に割譲される以前の清朝末期の台湾は、科挙文化体制下にありました。科挙のための教育機関であった書房などでは漢文の読み書き・そろばん・経書の講読が行われ、教育語としては、北京語ではなく台湾語が用いられていたようです。

日本統治期(1895-1945)

 総督府の統計によると、1898年の書房は1,707か所、学生数は29,941人に上っています1。日本統治開始後も1898年に創刊された『台湾日日新報』に漢文欄が設けられるなど科挙体制の遺産である漢文は衰えません。日本統治期初期は、書き言葉としては漢文2、話し言葉としては台湾語、客家語、原住民諸言語、日本語が共存していたようです。
 頼和(1894-1943)、張我軍(1902-55)らは、日本の植民地統治に抵抗し、大陸の五四新文化運動の影響を受け、口語文体で文学を書く運動を台湾でも展開しようと試みました。頼和は、1926年に『台湾民報』に「闘鬧熱」を発表、『台湾民報』の編集長も務めました。台湾の文学のあり方を模索、牽引した頼和はのちに“台湾新文学の父”と呼ばれることになります。1930年には、黄石輝(1900-45)が、台湾の民衆のために台湾のことを台湾語で書こうという郷土文学を提唱し、郷土文学論争に発展します。
 一方、公学校(小学校)教育による日本語国語体制も整備されていきます。日本語が普及し始め、書き言葉としても日本語が使用されるようになると、漢文は徐々に衰退していき、日本語で小説を書く台湾人作家も現れ始めます。
楊逵(1905-1985)は日本語で書いたプロレタリア小説「新聞配達夫」を、1934年10月号『文学評論』の懸賞に投稿、 第二席入選となり掲載されました。「新聞配達夫」は、楊逵が日本での体験をもとに、台湾に帰ってから社会運動が弾圧され文学運動に身を投じた後に書かれた作品で、日本の文芸誌に掲載された台湾人作家の最初の作品でもあります。ちなみに、今年3月に台湾で起こったひまわり学生運動において行政院突入のリーダーとして一時拘束された魏揚(国立清華大学大学院生)は、楊逵のひ孫にあたります。
 日本統治期、日本の商業誌に掲載された台湾人作家の作品は、楊逵「新聞配達夫」、同じく『文学評論』に1935年に掲載された呂赫若(1914-51)の「牛車」、1937年に『改造』の佳作推薦賞を受賞した龍瑛宗(1911-99)「パパイヤのある街」の3作品です。
 日中戦争が開戦する1937年には新聞漢文欄が廃止され3、台湾文学も日本語一色に染まっていきます。1938年に国家総動員法が発布されると、台湾では、国語運動、改姓名、志願兵制度、宗教、社会風俗の日本化などを通して台湾人を皇民にする皇民化運動が進み、文学においても皇民化運動を体現した皇民文学が生み出されていきました。
 戦時下、1940年には西川満(1908-99)、濱田隼雄(1909-73)らが中心となり『文芸台湾』が創刊、41年には張文環主宰の『台湾文学』が創刊されています。
 この時期、皇民文学として評価された作品に、周金波(1920-1996)「志願兵」(1941)、王昶雄(1929-2000)「奔流」(1943)などがあります。こうした皇民文学や作家たちは、のちに厳しい議論に曝されることになります。

 1945年、日本は敗戦し台湾の植民地統治は終了します。日本人が引き揚げた後、台湾の文学、台湾の作家たちはどうなっていくのでしょう。次回に続きます。

(続きます!)

10250674_794106527269313_1092258525_n赤松美和子(あかまつみわこ)
大妻女子大学比較文化学部准教授。
博士(人文科学)。1977年、兵庫県生まれ。
2008年、お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了。専門は台湾文学。
著書に『台湾文学と文学キャンプ―読者と作家のインタラクティブな創造空間』(東方書店)がある。

  1. 文化部「台湾大百科全書」 []
  2. 日本統治下の半世紀の間に、少なくとも「正則漢文のほか、明治体、白話文、現代的漢文、日用文、平易漢文、流行文、中国白話文、台湾話文、台湾語台湾文、在地漢文など十の漢文が台湾社会を賑わしていた」(『日本統治と植民地漢文』三元社) []
  3. 最高の発行部数を誇った純「漢文」雑誌『風月報』は1937年以降も台湾で発行され続けた(『日本統治と植民地漢文』三元社) []