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歴史をひも解く際に注意深くあらねばならぬであろうことの一つに、
ほどこうとしている歴史が、どんな部分の事柄に、どんな立場の人が、
どういうスポットライトを当てようとしているのか——があります。
眼差しのありようが変われば歴史はいとも簡単に変わるもの。
では、台湾史にかかわる書籍はどんな眼差しをもって描かれているのでしょうか。
多様な台湾の、多面的な奥深さを、じっくり味わってみませんか。
台湾近代美術で荒波にもまれ続ける陳澄波のその後、です。

#1概説書を読んでみる(1)→
#2概説書を読んでみる(2)→
#3台湾近代美術の葛藤(2)→

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台湾近代美術の葛藤(2)

 
文=黒羽夏彦 

陳澄波は国語学校を卒業後、いったん故郷の嘉義へ戻って公学校(台湾人向けの小学校)の教員となった。恩師の石川と同様に、生徒を野外へ連れ出して写生させている写真も残っている。しかしながら、美術への情熱はやみがたい。一念発起して東京美術学校(現在の東京藝術大学)を受験して見事に合格。すでに30歳近くになってはいたが、東京で苦学を始める。「帝国」日本に組み込まれた植民地・台湾の人々にとって東京は上昇志向のシンボルとして大きな吸引力を持っていた。陳澄波も含めて東京へ来ていた当時の台湾人留学生については陳柔縉(天野健太郎・訳)『日本統治時代の台湾 写真とエピソードで綴る1895~1945』(PHP研究所、2014年)でも触れられている。

1926年、陳澄波の作品「嘉義郊外」が第7回帝展に入選。彫刻部門ではすでに黄土水が入選していたものの、西洋画部門で台湾人が入選したのは初めてだったので故郷でも大々的に報道された。また、1927年から始まった台展(台湾美術展覧会、後に府展=台湾総督府美術展覧会)にもしばしば入選する。台展のほか朝鮮美展、満洲国展のように帝展を模して植民地各地で成立した美術展覧会をテーマとして「東京・ソウル・台北・長春──官展にみる近代美術」(兵庫県立美術館、2014年6/14~7/21)が開催されており、陳澄波の作品も展示されている。1

陳澄波の画家としての評価は高まったものの、それだけでは家族を養っていけない。そこで彼は上海に渡って美術の教員となった。ここで中国画を学び、新たな境地を切り開こうとした矢先の1932年、第一次上海事変が勃発。家族の身を案じた彼は戦乱を避けて台湾へ戻らざるを得なかった。1934年には台展とは別個に台湾人画家を中心として設立された台陽美術協会に参加する。

1945年、日本の敗戦により台湾の中華民国への帰属が決まった。上海で中国画の技法を吸収していた陳澄波にとって、これは自らの活躍の舞台を広げる機会でもあった。大陸滞在経験のある彼は中国語を話せるため、中華民国歓迎委員会や嘉義市議会のメンバーに選ばれる。ところが、1947年の二二八事件は彼の運命を暗転させた。二二八事件処理委員会の一員として国民党軍側との交渉に赴いたところ、そのまま拘束され、処刑されてしまったのである。銃殺されて血まみれとなった彼の無残な遺体は遺族によって写真に残されている。

歴史学者の周婉窈(台湾大学教授)は小学生の頃、絵を描くのが得意だったという。彼女は陳澄波と同じ嘉義の出身だが、同郷の傑出した画家である陳澄波の名前を大人になるまで全く知らなかった。二二八事件や白色テロのため彼の名前は政治的タブーとなっていたからである。権威主義体制は一つの才能を抹殺したばかりか、すぐ身近なところにあったはずの歴史的記憶の継承まで妨げようとした。このような悲劇から自分たちの歴史を取り戻そうという熱意が彼女の研究の動機となっている。2周婉窈(濱島敦俊・監訳、石川豪・中西美貴・中村平・訳)『図説 台湾の歴史』(増補版、平凡社、2013年)の第11章「台湾人の芸術世界」では台湾の美術や音楽の歴史を紹介しているが、そうした問題意識が強く浮かび上がっている。

日本統治時代に導入された近代美術の写実性は、台湾の風土の美しさを再認識するという副産物をもたらし、当時の画家たちは讃嘆しながら丹念に絵筆で写し取った。他方で、戦後の国民党政権は「中華文化」の正統な後継者という建前を掲げていたため、すぐ身近の「台湾らしさ」は抑圧されてしまった。こうした対比から1970年代以降、日本統治時代に台湾の風景を愛した画家たちが再評価されるようになった。近年の学界ではポストコロニアルの観点から、日本統治時代の画家たちが台湾へ向けた眼差し、たとえば異国情緒の強調といった特徴から見出される植民性・外在性も指摘されている。議論はまだまだ尽きない。

芸術家たちの表現しようとした作品の感動をそのままに受け止めたい。しかしながら、それを見つめる我々の眼差しが安定しないのは、彼らを翻弄した東アジア近代という大きな波浪が、形を変えつつ現代の我々をもいまだに揺り動かし続けているということなのかもしれない。

6月24日から上野の東京国立博物館で「台北 國立故宮博物院─神品至宝─」展が始まる。中華文化の粋を凝らした美術品の数々。しかし、北京にあったはずの故宮文物がなぜ台湾にあるのか。野嶋剛『ふたつの故宮博物院』(新潮社、2011年)をひもとくと、中台双方の思惑が複雑に絡まり合った様相が見えてくる。故宮博物院にもまた、東アジア近代の激動が一つの形で凝縮されている。

(次回は来月掲載予定です)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA黒羽夏彦(くろはなつひこ)
台湾専門ブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」、書評ブログ「ものろぎや・そりてえる」を運営。1974年生まれ。出版社勤務を経て、2014年3月より台南の国立成功大学文学院華語中心へ留学。東アジアの近現代に交錯したさまざまな人物群像に関心を持ち、台湾に視点を置いて見つめ直したいと考えている。

  1. 各官展の概略についてはこちらのサイトを参照のこと。なお会期はすでに終了。 []
  2. 周婉窈〈高一生、家父和那被迫沈默的時代──在追思中思考我們的歷史命題〉(周婉窈《面向過去而生》允晨文化、2009年、所収)。 []