中国語の「達人」はその道のプロ。
ご案内いただくのは中文コラムニストの新井一二三さんです。
1曲の歌詞に始まった興味が、
のちに1冊の本になるまでの物語を全7回でお届けいただきます。
第4回、憧れ続けて幾星霜。ついにその時が訪れたのですが……?

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カラスミ物語(4)——李昂『夫殺し』

文=新井一二三

伊丹十三に影響され、中国からカナダ、香港へと漂った12年の間、いつも私の本棚には邱永漢の『食は広州に在り』があり、文中に書かれた台南名物カラスミというものをいつか食べてみたいものだと憧れ続けていました。その夢がとうとうかなったのは、最初にグレープの『朝刊』でカラスミというものの存在を知ってから、なんと21年後の1996年。同年の春、台湾では史上初めて、大統領にあたる総統の直接選挙が行われました。その歴史的なイベントを取材するため、香港でジャーナリストをしていた私も台湾に向かったのです。

選挙が終わったある晩のこと。現地の同業者二人と、台北の裏町にある半分屋台のような店に食事に行きました。そこで彼らが頼んだ前菜が「烏魚子」すなわちカラスミでした。日本語のカラスミには、「唐墨」という漢字が当てられ、塩漬けした魚卵を圧縮乾燥したその姿形が、昔々中国から輸入された墨の形に似ているため、そのような名前がつけられたと一般に考えられているようです。ところが台湾では、原材料の魚卵が烏魚すなわちボラの卵であるために「烏魚子」と呼ばれます。つまり、カラスミという日本語には「烏魚(ボラ)の実」という意味もかけられていたんですね。

楕円形の安っぽい陶器の皿にのせられたカラスミは、質感的には薄切りの羊羹に似ていて、色は干し柿を思わせます。大根と生にんにくの薄切りが、カラスミと交互に置かれていて、刺身に対するワサビやつまの役割を果たすようです。味はといえば、鱈子を凝縮して熟成させたような旨味、海鮮というよりはヨーロッパ産の高級チーズに似ている。うーん、これはおいしい。

翌日、今度は別の友人と、彼女の故郷である西海岸中部の彰化に向かいました。そこからさらに古い港町鹿港へ。ここは清代末期、台湾で一二を争うにぎわいを見せた場所です。1993年に邦訳が出版されたフェミニズム小説『夫殺し』(李昂著)の舞台でもありました。味わいのある細い道の奥では観音様や媽祖様に線香があげられ、煙が立ち込めています。そこに続く路地では、おばさんたちが腰を下ろし、目の前に広げたカラスミをたくさん売っていました。ところが、あまりにもたくさん、しかも安価で売られていたために、私は大きな考え違いを起こしてしまうのです。

(ここにこれだけあるのだから、台北にはきっともっとあるに違いない。それだったら、帰る前に台北で買えばいい)

これが大間違いだったのです。カラスミの産地は西海岸中南部。そこからパック詰めにされた商品が台北にまで運ばれてきます。そして台北では乾物の専門店か空港の売店でしかカラスミは売られていません。売られているものの鮮度は当然産地に及ばず、価格はといえば2、3倍に跳ね上がります。おおざっぱに言うと、産地で1,000円しないものが台北で3,000円、日本で5,000円という感じでしょうか。

旅先でさっさと買うべきであったものを買わず、のちのちまで後悔したのは生涯で2度だけです。プラハで買い損ねたボヘミアングラスのワイングラス、そして鹿港のカラスミ。その後仕事で台北に行くことはしばしばありましたが、カラスミがテーブルに並ぶことはありませんでした。鹿港で別れたカラスミとの再度の再会は、13年後、2009年まで待たなければならないとは、当時知るよしもありませんでした。

(続きます!)

column#3PH新井一二三(あらいひふみ)
東京生まれ。中文コラムニスト、明治大学教授。台湾『聯合報』『中国時報』『自由時報』、中国『南方都市報』などにコラムを連載。中国語著作に[我這一代東京人][獨立,從一個人旅行開始][東京迷上車][台灣為何教我哭?][歡迎來到東京食堂](大田出版、台北)など、日本語著作に『中国語はおもしろい』(講談社現代新書)、『中国、香港、台湾映画のなかの日本』(明治大学リバティブックス)など。