中国語の「達人」はその道のプロ。
ご案内いただくのは中文コラムニストの新井一二三さんです。
1曲の歌詞に始まった興味が、
のちに1冊の本になるまでの物語を全7回でお届けいただきます。
第6回、一家で訪ねた南台湾へのカラスミの旅のお話です。

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カラスミ物語(6)——新井一二三『台灣為何教我哭?(なぜ台湾は私を泣かせるのか)』

文=新井一二三

台湾には1980年代から何度も行きましたが、南部に足を踏み入れる機会はなかなかありませんでした。それは、台湾の政治や経済の中心地が台北であるため、出張がらみだと、どうしても台北が目的地になるからです。映画『海角七号』を見て、南台湾の自然と社会のカラフルさに目を開かされた私は、2009年の12月、家族4人の冬休みを利用して、南台湾に向かいました。

飛行機で台北に飛び、空港からタクシーですぐ近くの高速鉄道駅へ。あっという間に台湾版新幹線に乗車できます。かつて友人と訪れた彰化や鹿港を通り過ぎ、高鉄台南駅へ。とうとう邱永漢氏の故郷にやってきました。ここは本当に美食の町。ホテルの朝ご飯から、小さな店で食べる担仔麺、粽、ふわふわのデザート豆花まで、おいしいものが目白押しです。その一方で、日本統治時代に役所だった建物をそのまま利用した台湾文学館の展示など、歴史の厚みも実に半端ではなく、しばらく住んでみたい気持ち。

台南からローカル線で1時間ほど南下した場所にある高雄は、台湾第二の都会です。札幌を思わせる幅広い道路に、町の中心を流れる愛河、そのほとりに並ぶ博物館や映画図書館。文化の香り高い都会の西側に、高雄港を挟むような形で、細長い旗津の島がありました。自転車やバイクとともに渡し船に乗り込むと、数分で対岸に到着。この島の中部に目指すカラスミ製作所があるのです。さっそく自転車を借り、親子4人は一路南へとカラスミを目指します。30分ほどもペダルをこぎ、やっと到着した明麗烏魚子厰では、何百、いえおそらくは千を超える数のカラスミが屋外の網板に並べられ、南国の陽を浴びていました。

お店の方に聞くと、塩漬けにしたカラスミを干す、圧縮する、干す、圧縮するというプロセスを1週間ほど繰り返し、やっと完成に至るそうです。販売所では、できたてのカラスミを選び、その場で真空パックをほどこしてもらうことができます。品質は全部最高級、値段は重さだけで決まるとのこと。「我が家の冷凍庫用」、「友人知人へのお土産用」と選び、最後に「今食べる用」の一腹を決め、店のお姉さんに炭火で炙ってもらいました。さすが美食の地。店の一角には炭を並べたバーナーがあり、あっという間に絶妙の焼き具合に仕上げ、斜めにスライスした上で、大根やにんにくも添え、プラスチックの容器に入れてくれました。「蒸れるとおいしくないから、輪ゴムだけかけて、口は開けておきますね」という親切ぶりです。店先にも座席はあるけれど、せっかく台湾高雄は旗津島まで来たのですから、ここは海辺に腰を下ろし、台湾海峡を眺めながら、最高級にしてできたてのカラスミを味わいたいところです。

この時の旅では、さらに南の恒春半島にも足を伸ばしました。映画『海角七号』の舞台となった車城、恒春鎭、明治維新後の日本が初めて出兵した土地である牡丹郷、昭和天皇の弟宮も宿泊、入浴したことがある四重渓の温泉宿、バシー海峡を隔ててフィリピン領海と向き合うリゾート地墾丁、とそれぞれに魅力的な町です。2010年1月1日。南台湾の気温は摂氏20度あり、小学生の子どもたちはホテルの屋外プールで新年の初泳ぎをしました。この旅の記録と、そこへ至る国家と個人の歴史を綴った本が拙著『台灣為何教我哭?(なぜ台湾は私を泣かせるのか)』というわけです。

(続きます!)

column#3PH新井一二三(あらいひふみ)
東京生まれ。中文コラムニスト、明治大学教授。台湾『聯合報』『中国時報』『自由時報』、中国『南方都市報』などにコラムを連載。中国語著作に[我這一代東京人][獨立,從一個人旅行開始][東京迷上車][台灣為何教我哭?][歡迎來到東京食堂](大田出版、台北)など、日本語著作に『中国語はおもしろい』(講談社現代新書)、『中国、香港、台湾映画のなかの日本』(明治大学リバティブックス)など。