slection_top_Zhang天地無用――そうっとそのまま、いつまでも


 電話の向こう側から和広〔かずひろ〕の死が伝えられたとき、私はちょうど悠ちゃんの部屋からでてきたところだった。
 伝えてくれたのは、なまりはあるものの流暢な中国語を話す日本人男性だった。台湾まで国際電話をかけてきた彼は礼儀正しく、でもひどく事務的な声でその旨を告げ、そのあと悲しそうに和広の死を告げた。
「残念なことですが、大野さんは先月、亡くなりました」
 「亡くなりました」の言葉を、彼はわざわざ2秒息を止めたあとに、ゆっくりと発した。きっと私がびっくりしないように、心の準備をする時間をくれたのだろう。とても思いやるのあるやり方であった。
 そんな気遣いがあったにもかかわらず、やはり私はしばらく息を呑んだままだった。
 私と和広はどんな関係なのか、と聞かれ、別れた妻です、と私は答えた。
「昭琴〔チャオチン〕さん、どうかお力落としのないように……」
「節哀順変〔ジエアイシュンビエン〕」――そんな丁寧な中国語が、日本人男性の口からするすると出てきた。きっと前もって考えていたのだろう。和広が死んだと聞いて、私は確かに驚いた。でも、しばらく息を呑んだままだったのは、「亡くなりました」の言葉のせいでなく、「和広」という名前を耳にしたからだった。もちろん電話の男は知るはずもなかったろうけれど。
 まさか、こんな長い時間が経って、また彼の名前を耳にするなんて。
 和広。
 もう7、8年は経つだろうか。まるで愛おしくも恐ろしい何かを、箱の奥底にしまい込み、苦労して目の届かない場所に置いた。いつしか気にかけなくなり、ついにはその存在すら忘れてしまっていたそんなとき、予告もなくその箱を目の前で開けられたみたいに、一瞬自分と関係があるとは思えず、ひどくよそよそしいものに感じた。
 電話の男は和広の同僚であった。彼が言うには、和広は先月のある夜遅く、会社から家に帰る途中、家の近くの交差点で取締りを避ける飲酒運転の車にはねられて死んだのだ。目撃者はなく、犯人は捕まっていないと言う。

(略)
 和広と家族との間はずっと音信不通だったという。警察で身元確認を行った母は、火葬の間に姿を消してしまった。だから大野さんは、私に和広の後始末を頼んだ。

 東京行きの日程を決めて電話を切ると、私はソファーに倒れこみ、丸くなった。電話の間、決して感情が高ぶっていたわけではないのに、それでも今、まるで運動場を走ってきたばかりみたいにぐったりと力が入らず、しばらく放心していた。
 頭の中は和広のことでいっぱいだった。彼に仕組まれていたかのようだ。この何年かの間、私があえて彼のことを思い出さないようにしていたことを知っていて、彼は今こんな方法で、私の頭の中を埋め尽くしている。
 卑怯なヤツ! 嫌なヤツ!

(略)
 生まれたばかりの子ども・悠ちゃんを亡くし、昭琴は不眠症になった。眠る方法はただ一つ、赤ちゃんのおもちゃや衣類がつまった部屋で一人、横になること。

3
 大野さんはちょっとどんより暗い人でした。
 あの日電話をかけてきた日本人は、和広のことをそう言って説明した。そのことを考えると少し戸惑う。
 私の記憶の中では、和広は決してそんなどんより暗い人ではなかった。
 若い女の子は皆、面白い男の子が好きだ。和広みたいにシュッとした男前で、話も面白い男の子は女の子の気を引く。
 9年前、21歳になったばかりの私は、大学を卒業してある広告会社に入社した。仕事はいちばん下っ端の営業アシスタントだった。そこで26歳だった和広と出会った。彼は私のような雑用係と違い、クリエイティブ部門のコピーライターだった。つまり彼は、大学で情報メディアを専攻した私が本当にやりたかった仕事をしていたのだ。
液晶テレビの広告に取り組んでいた和広のサポートをすることになった。サポートと言っても私は新人なので、ベテラン営業の隣で雑用をしているだけだった。和広と接する機会もそれほど多くはなく、主にクライアントの資料や要望をレポートにして彼に渡す程度だった。そして彼はコンセプトを修正して私に返す。メーカーはこの商品シリーズを非常に重視していて、広告にもかなりやっかいな要望を出してきていた。そのせいでクリエイティブ部門と接する機会がだいぶ増えた。
 ほかの営業担当は、クリエイティブ部門の担当者にコピー案を催促するのが一番の大仕事だった。作家になれなかったくせに大作家気取りのコピーライターが、商品に魂を売ったコピーを渋々書き上げるまで、その振りかざす芸術家っぷりに我慢しなければならない。でも和広と私の間にそんな面倒は一度もなかった。彼はゴネることなど一度もなく、要望があればいつも大人しく修正に応じ、締め切りを守った。私はよく、彼がただの宅配便屋じゃないかと疑っていた。
 液晶テレビのCM脚本は、4日経ってもまだOKが出なかった。私は毎日レポーティングと市場調査とクライアント対応に駆けずり回り、またクリエイティブ部門との修羅場のような会議にも必ず参加した。私はあとすこしでこの会社が広告会社ではなく、経営会議ばかりやっている「会議会社」じゃないかと思ってしまうところだった。
 その日の会議、私ももはや傍観者ではいられなくなった。クライアントからリジェクトされて五日目、クリエイティブ部門の矛先は営業部門に向けられ、クライアントが自分たちの企画を気に入らないのは、市場調査の客層の設定がそもそも誤っていたせいではなかったかと攻撃してきた。私の上司はもちろんそれに納得せず、さらに倍返しで応酬し、会議は膠着した。
 ようやく会議が終わり、私が休憩室でコーヒーを作っていると、和広が空のマグカップを手に入ってきた。私がマグカップを見ているのに気づいて彼は言った。
「おっと、これで殴るつもりはないよ。君が営業部だと言ってもね」
 私は思わずクスリと笑ってしまった。
「ちょうど二人分あるから、1杯あげます」と私。
「そう。ありがとう」
「同僚が言ってたんですけど、和広さんはハーフなんですって?」と私は聞いた。
「そう。父が台湾人で、母が日本人なんだ。でもハーフって言い方はつまんないな」
「なんて言うの?」
「有効成分ダブル配合」
「職業病じゃないですか? 新しいコピーのことしか頭にないんですね!?」
「そりゃそうさ。飯のタネだからね」
と彼は冗談めかして、小学校の途中で台北に引っ越して来たから、もしかすると今は中国語より日本語のが下手かもしれない、と言った。
「コーヒーができたわ」私は和広のマグカップに注いで渡し、そしてやりきれないように言った。「こんな会議の後は、コーヒーでも飲まないと元気出ないわ」
「君はどうしてこの会社に入ってきたの?」と和広は私に訊いた。
 一瞬、反応に困った。
「ここしか入れてくれなかったから。それまでたくさんの会社に応募したけど、どこも尻切れトンボで。見込みがありそうな会社もいくつかはあったんだけど、こちらから連絡するときまって『数日中』に連絡できる、って口ばっかり。多分あの人達の一日は普通の人の一年くらいあるのね」
「広告業界の人間の言うことを本気にして?」
「ああ……」とぐうの音もでない私。
「だから君は、本当はコピーライターになりたかったわけだ。営業じゃなく」
「そう。もともとはこの会社のコピーライターに応募したの。クリエイティブ部門の部長と面接したのよ。そんな偉い人と面接させてもらえるんだから、私てっきりいけるかもと思ってたのに、ところが面接が始まったとたん彼女は『今会社に空きはないんだけど、履歴書を見て興味があったから、来てもらったの』って。しかも五分で終わっちゃって。あんな短い面接、生まれて初めてだった」
「ジュリーのことだろう? 彼女はテレビショッピングで買い物ばっかりしてるから、きっと興味があるものはなんでもお取り寄せできると考えてるんだ。しかも気に入らなかったら即返品だ。何日間は返品送料無料だからって。そんな扱いされた人はたくさんいるよ。彼女の悪い癖だ。気にすることはない」
「でもそれから彼女が電話をかけてきて、営業に求人があるから、試してみないかって。ほかに広告関係の仕事が見つからないときだったし、入社することにしたの。だから今ここにいるわけよ」
「向いてないよ。早く辞めたほうがいい」
「なんでそんなこと言われなきゃいけないの?」
 びっくりした私はこう反論した。「私の仕事の良し悪しをいつ知ったっていうの? 頑張ってやればそのうち評価が上がって、もしかしてクリエイティブ部門に引き抜かれるかもしれないじゃない!」
 和広はコーヒーを一口飲み、首を振って笑いを浮かべた。「まったくバカだな」とでもいうような視線を私に投げかけ、なお憐憫の表情すら浮かべ、何も言わずにオフィスへ戻っていった。
 なんのつもりよ! 嫌なヤツ!
 でも、嫌なヤツの言葉は、結果として正解だった。
 2週間後、私は本気で退職を考え始めた。クリエイティブ部門に新しい社員が入ったからだ。これで、いつか営業からクリエイティブ部門に異動になるかもしれない、という甘い考えを持っていても無駄だと思い知った。人は皆、1枚の紙みたいなもので、誰かが私のことをこうだと思えば、そのようにインキで塗りつぶされ、それきり誰かに塗られたままの自分を続けるほかないのだ。

(略)
 会社を退職したあと、和広に食事に誘われた。

 その日の夜、私は和広と寝た。確かに私も和広も、相手に興味を抱いていたと思う。でもその日、初めからこうなることを期待していたのではなかった。二人とも、まるで通りにあったコンビニにふと入り、一人が「喉が渇いたから、ジュースでも買おうか」と言い、もう一人が「私もちょっと欲しいかな」と答えた、そんなふうに、なにもかもが自然に始まったのだ。
 私は和広と暮らし始め、出版関係で校正の仕事を見つけると、昼は彼のマンションで仕事をし、夜は相変わらずいつ仕事が終わるかわからない彼の帰宅を待った。
 最初の1か月は、和広が家に帰ってくるなり、お帰りもそこそこにセックスを始めた。和広は典型的な若い日本人の体つきで、ちょっと見るとひょろっとしていて、大した体力もなさそうだったが、セックスで見せる力強さは私にとって衝撃だった。
 毎回ことを終えると和広は照れくさそうに「お疲れさまでした」と日本語で言った。そして私はいつも吹き出してしまうのだ。
 あれほど熾烈な職場で毎日遅くまで働いているのに、家に帰ればまだあれほど元気が残っていることが、とにかく不思議だった。よく男は女をわかってないというが、女もまた男のことをわかっているとはいえない。会社にいたころ私は彼のことを宅配便屋じゃないかと疑っていたが、毎度こうして彼に抱え上げられ、宙に浮いたままセックスしていると、この人はオリンピックの重量挙げ選手じゃないかと思う。
「いつ赤ちゃん作ろうか」
 ある日、和広は私にそう聞いた。
「『結婚してくれ』もまだじゃない!」と私。
「『逆再生モード』だ!」
「職業病だわ」
 確かに私と和広の仲は、逆再生モードでいつも進展した。私たちは付き合うかどうかを言葉で確かめる前に寝て、また一緒に暮らすことを話し合う前に私はもう彼のマンションに転がり込んでいた。そして今、プロポーズも一足飛びにして、子作りのことを話している。
 もっとも和広がそう言うのも、決して唐突なことでもなかった。彼は子どもが好きだし、私もそうだった。外出するとき、二人はいつも道行くベビーカーを見つけては、赤ちゃんの顔をのぞき込んだ。そうすると二人ともうれしくなるのだ。デパートに入れば、ついついベビー服売り場をぐるっと回ってしまう。
 セックスが互いの身体と心を満たす以外、さらに何かと繋がっていくように感じていたあのころ、未来は永遠に輝き続けるのだと、私たちは錯覚していた。
 妊娠4か月がわかり、私たちは結婚した。
 日々の暮らしに大きな変化はなかった。毎日ただ積み木のように一段一段、期待が高まっていく。生まれてくる子どものための準備はもう万端で、結婚と出産を祝う友人から有形、無形の気遣いがたくさん届けられた。
 分娩のあの瞬間まで、期待は一直線で高まっていった。あっという間の崩壊がきたのは、そのすぐあとであった。

(略)
 子どもを亡くし、不眠症となり、和広との関係は冷め切ってしまった。結局夫——和広は離婚を決め、女を作り、日本へ帰っていった。

5
 和広の後始末のため、東京に到着したのはもうその日の午後であった。
 和広の同僚であった佐藤さんは、カレンダーをちゃんと見てなくて申し訳ない、と電話で私に平謝りした。私のサインが必要な書類や手続きがあるのだが、次の日が祝日のせいで、2日後でないと書類を私に手渡すことができないというのだ。
「今晩、先に和広のマンションに連れて行ってもらえませんか」。私はそうお願いした。
「もちろんです」
 和広の暮らしていたマンションを一目見てみようとふいに思いついたら、もういてもたってもいられない気持ちになった。
この7、8年の間、彼がどうしていたか私はまったく知らない。だからなんとなくだが、少しでもそれを穴埋めしたほうがいいと思ったのだ。いずれにしても、彼の荷物を整理しなければならない。
 和広が亡くなった後の片付けや手続きを私がするなんて、これまで考えたこともなかった。一緒に暮らしていたころはそんなのまだ先すぎて、まして離婚した後はありえない話だった。
 佐藤さんの会社は渋谷にあった。夕方6時半に、私たちは渋谷のハチ公前で待ち合わせをした。少し早く着いて待っているとき、ふとお互いの外見を伝え合ってないことに気づいた。どうやって待ち合わせ相手を見つければいいのか。でもそんな心配は彼が目の前に現れた途端、吹っ飛んだ。私は一目で彼がその人だとわかった。
 信じられない思いで、その日本人男性を見つめた。
 彼の雰囲気が和広そっくりだったのだ。もちろん顔や姿が瓜二つということではないけど、顔の輪郭が同じタイプで、身長や体型も同じくらいだった。しかも話すときの口調や視線の感じがよく似ていた。
「初めまして、昭琴さん。私が佐藤です」
 和広のスーツ姿を私は一度も見たことがなかったが、今そこに、スーツ姿の和広がいるようだった。何か幻を見ているように。
「ほんとそっくり」驚きを隠せない私。
「え?」
「和広と似ていると言われたことはないですか」

(略)
 私は佐藤さんとともに渋谷から東急田園都市線に乗り、三軒茶屋駅に向かった。和広は三軒茶屋に住んでいて、帰宅途中、交通事故に遭ったのだ。

 和広のマンションはエレベーターがなかった。日本人の言い方で「1DK」という単身用マンションで、部屋が一つあり、そのままキッチンと小さなダイニングが続いていた。
 佐藤さんが鍵を差し込み、ドアを開けた。蛍光灯をつけたとき、私は玄関から部屋の中をのぞき込み、しばし呆気にとられた。インテリアはひどく簡素で、生活に必要なものが置いてあるだけで、配色とかコーディネートなどはまったく考えられてなかった。はっきりいえば、個性のない部屋であった。昔、和広はクリエイティブ部門にいただけあって、住環境にも確固たるスタイルを持っていた。でもこの部屋は、かつて私たちが暮らしていた住まいとは似ても似つかなかった。
 ただよっていた私の視線が、真正面で止まった。
 和広の骨壷がデスクに置かれていた。
 骨壷は静かにそこにあった。窓の外の街灯の光が、ガラスに屈折して差し込んできてちょうどデスクの上に長い影を作っていた。それが今の和広の影だ。
 私はデスクに歩み寄り、両手でその影をなぞった。ゆっくり、ゆっくり骨壷の下辺から包み込むように、和広を抱きかかえた。悠ちゃんがかつて私の子宮のなかにいたように、和広もまた縮こまって、こんな小さな空間に返った。でも、子宮は暖かく、そして始まりを意味するが、骨壷は冷たく、ずっと終わりのままなのだ。
(略)
「そうね、そうだ、今晩ここに泊まっても構わないかしら?」と私は聞いた。
「ここですか」
「そうです。あるいは今晩から片付けを始めてもいいし」
「しかし……」
「しかし、骨壷とふたりきりで夜を過ごすなんて?」
 彼は気まずい表情で、「いやそういう意味では。うーん、いいでしょう。もしお望みとあれば」
「ありがとう」
「では、鍵をお預けしましょう。もし明日何かお手伝いが必要であれば、遠慮なくいつでもお電話ください。明日は祝日ですし、私も特に用事ありませんから」
 私はうなずく。
「ああ、危ないところでした!」と佐藤さんが手元の買い物袋を開きながら言った。「ここに段ボールがいくらか入ってます。組み立ててガムテープで止めればすぐ使えます。もし荷物を整理するなら、たぶん必要だろうと思ったんで、勝手に持ってきたんです」
 佐藤さんはその場で組み立て方を実演して見せてくれた。平らだったものが、いくつかの手順を経て、立体の箱になった。
「天地無用?」
 段ボールの上に書かれた漢字を見ながら私は言った。
「救いがないわね」。私はやり切れない思いがした。「どうしてこんな漢字が書いてあるの? 今の私みたいな境遇にはもってこいだけど」
「『天地無用』というのは、お考えのような意味じゃありませんよ。天地というのはもともと『転置』の意味で、日本語で読み方が同じ漢字がのちに当て字で使われるようになっただけです。“世界で役に立たないもの”とかいうそんな悪い意味ではありません。それは運送に際して丁寧に扱うよう、運送業者がうっかりひっくり返さないように教えるためのものです」
「なるほど、そうだったの。ともかく、今日は本当にありがとうございました」
「とんでもない」
 佐藤さんが出て行って、部屋はしんとした静けさに包まれた。
 和広の部屋には衣類、本、生活用品、そして無印良品の収納ケース以外、骨壷のそばにiPodとMacBookがあるだけで、整理が必要な荷物はこれといってなかった。
 実際その晩、私はその部屋にあるものを何一つ動かすことはなかった。
 ただ静かにフローリングに座り込み、思い立つと和広のこの「1DK」をふらふら歩き回った。30歳になった自分の年齢を思った。この10年、ほかの人はキラキラ輝くような20代を過ごしたことだろう。ところが私はその間さまざまな紆余曲折を経て、どうやらこんな役に立たない女になってしまったらしい。
 今この異国の大都市にあって、別れた夫の遺骨を向かい合っている。

(略)
 妻子持ちの大浦〔ダープー〕と付き合っていたが、つい最近、奥さんにバレてしまった。その後の彼のふがいない態度にもうんざりし、私は彼との別れを決めた。

 デスクに置かれた骨壷を見ていて、心が乱れた。
 そしてふいに、これからは本当に自分一人きりなんだって気づいた。
 和広はどうして死んでしまったんだろう? そしてどうしてこんな後始末を私にさせるような仕打ちをしたんだろう? 私と彼はもうなんの関係性もないのに! もし彼の死を知らなければ、私の生活もこの8年間と変わらぬまま続いていったろう。でも、知ってしまった。すべてが変わってしまった。私は悠ちゃんを失い、そしてこれから和広の死を背負わなければならない。しかもよりによって、この大浦と別れようとしているそんなころあいを狙って。何もかもが皮肉みたい。
 私は我慢しきれず、和広に向かって叫んだ。
「どっちが悲惨か、勝負ってわけ? そうよ。あなたの勝ちよ。私は悠ちゃんを失い、結婚に失敗し、男とも別れて、仕事もなくした。悲惨過ぎるわよ。でもあなたずるいわよ。死んじゃうだけで済んだんだから。いいわよ、あなたの勝ちで。出てきなさいよ! そんなところに隠れてないで! 嫌なヤツ!」
 なんのつもりよ!?
「嫌なヤツ!」
 私の声は、あっというまに壁に吸収された。まるでそこで話している人などなかったかのように。
 私はさっき本当に声を発したのだろうか。それとも心の中で叫んだだけ?
 和広の影は顔色を変えずデスクの上にあった。
 部屋は私の呼吸音以外、静寂に包まれていた。

6
 台北を出発するとき、私は悠ちゃんのおもちゃを一つ、持ってきた。
 夜、もし悠ちゃんの世界に逃げこむことができなければ、きっと眠れなくなる。でも、東京に行くだけのために、すべての宝物を飛行機で運んでくるわけにはいかない。結局、私は妥協しておもちゃを一つだけ持っていくことにした。でも思ったとおり、おもちゃ一つだけではぐっすり眠ることができずに、私は和広のマンションで完全な不眠とはいえないまでも、何度も寝返りを打っては目を覚ました。
 そんな起きては寝て、寝てはまた起きてを繰り返すなか、孤独感はどんどん強くなっていった。
 翌朝、私は六時過ぎに目が覚めた。
 窓を開けると、晴れ晴れとした空が見えた。太陽はキラキラまばゆいばかりだが、秋深まる東京の朝は冷え冷えとして、息を吐けば、真っ白の霧になった。
 出かけることにした。
 出かける前に振り返り、デスクの上の和広に目をやった。その隣に置いてあるiPodが目に入った。ふと思い立って私はiPodをリュックに放り込み、玄関を出た。
 早朝の通り、店はどこもシャッターを下ろしていた。駅で路線図をにらみつける。さあ、どこへ行こう? 路線図の左上に目が止まった。終着駅は浅草だ。
 高校のころ親戚とツアーに参加して東京に来たことがある。そのとき浅草の金龍山浅草寺にも行った。ただあまりいい印象はなかった。ガイドがお仕着せのスケジュール通り急かせるので、ひどく不愉快だった。観光地はどこも人と人が押し合いへし合い、息が詰まりそうだった。
 でも地下鉄の路線図を見ていたとき私はふいに、知り合ったばかりの和広にこの東京旅行のことを話したことを思い出したのだ。彼は、チャンスがあったらまた浅草に行ってみよう、と言った。
「朝、うんと早い時間に行けば、観光客に占領される前に参拝できるよ」
 だから私は浅草寺に行くことに決めた。どんな早くても、お寺は開いているだろう。
 地下鉄で浅草についた。

(以下略)
 和広が残していたものをきっかけに、私は浅草寺で、かつて大事にしていたものと再会する……。

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 天野健太郎
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