中国語の「達人」はその道のプロ。
今回ご案内いただくのは映画監督の酒井充子さんです。
最新作を完成させたばかりという酒井監督、
台湾映画で話題になった、ニッポンの夏の風物詩にまつわるお話です。

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _

台湾と日本と野球

文=酒井充子

中学時代の愛読雑誌は「甲子園の星」だった。毎年春と夏、テレビの前にくぎ付けになり高校球児の一挙一動に心臓をバクバクさせ、自分の部活、バスケットボールの練習があるときは涙をのんでテレビから離れたものだった。ところが、どうしたものか、自分が高校球児の年齢を超えるころ、とたんに興味を失った。年上のお兄さんたちへの憧れが高校野球への興味とイコールだったのだろうか。

今年もプロ野球シーズンが始まった。日本のみならず、最近は米大リーグの試合も生中継で見られる。台湾でも野球好きなおじいさんのお宅で大リーグ中継を一緒に見た。日本でも台湾でもスポーツの一番人気は野球といっていいだろう。

普段、野球中継を見る機会はなかなかないのだが、大リーグの日本人選手、台湾人選手、そして日本の球団に在籍する台湾人選手の動向は気になるものだ。台湾びいきとしては、ダルビッシュ有(現テキサス・レンジャーズ所属)や黒田博樹投手(現ニューヨーク・ヤンキース所属)と同じように陳偉殷(チェン・ウェイン)投手(元中日、現ボルチモア・オリオールズ所属)の成績を知りたいし、日本ハムの陽岱鋼(よう・だいかん)が活躍すればただただうれしい。

台湾のプロ野球は八百長事件が起こるたびに人気の凋落が心配されるが、それでも2013年、観客動員は過去最高を記録したという。同年のWBCの日本対台湾戦で、東日本大震災への台湾からの支援に対する感謝を込めた「謝謝台湾」などの横断幕が客席に数多く掲げられたことに対し、試合終了後、台湾チームの選手たちがマウンドに集まり客席に向かって深々と礼をしたという心温まるエピソードは記憶に新しい。台湾はこの試合で日本に惜敗したが、このような台湾代表の活躍も台湾プロ野球の躍進に一役買っているらしい。

そういえば、日本の「プロ野球選手名鑑」のようなものは台湾にもあるのだろうか。選手名鑑は地図と同じで、どんなに眺めても飽きるということがない不思議な書物だと勝手に思っている。台湾の野球については詳しくないが、きっと人気球団があって人気選手がいて、子どもたちの憧れの存在になっていることだろう。となると、やはり選手名鑑はある、と思いたい。今度台湾に行ったら本屋で探してみよう。

いつだったか、台湾東部の瑞穂という小さな村に滞在した日、日本対台湾の代表戦が台湾で開催されていた。民宿の庭でほかの泊まり客たちと一緒にテレビ観戦した。記憶が定かでないが、確か日本が2対1か3対2の接戦を制した試合だったと思う。ほかの客は皆台湾人で、当然彼らは台湾代表を応援していたが、試合が終わると、笑顔で日本の勝利をたたえてくれた。「やっぱり日本は強いなあ」「兄貴分の日本に勝つのは難しいなあ」。それが社交辞令とも思えなかった。

日本に野球が伝えられたのは1871年(明治4年)とされているのに対し、台湾で野球が始まったのは日本が台湾を統治した1895年以降。プロ野球のリーグ戦開始は日本が1936年だったのに対し、台湾は1990年に入ってから。日本のプロ野球を引退した選手が台湾のプロ野球で活躍するケースも多々ある。台湾の人たちが野球においては日本を「兄」、台湾を「弟」と考えるものうなずける。

台湾と日本の野球の歴史を振り返るとき、この春台湾で封切られた映画『KANO』(馬志翔監督)に触れないわけにはいかないだろう。1931年(昭和16年)、夏の甲子園に台湾代表として出場し準優勝を果たした嘉義農林(通称:嘉農)の軌跡を映画化した。日本人監督のもと、日本人、台湾人、原住民族の選手たちが力を合わせて勝利を目指す姿を描いた、らしい。そう、まだ観ていないのである。今年3月の大阪アジアン映画祭で上映され見事「観客賞」を受賞したが、映画館での一般公開は来年の予定だという。

本作はご存じの通り台湾で大ヒットを記録中だ。一部で「日本統治を美化している」という批判もあると聞くが、台湾ではありがちな反応の一つだと思う。当時、台湾に渡って指導にあたった日本人教師や台湾の球児たちの情熱がどのように描かれているのか、“甲子園の星”たちがどのように輝いているのかに注目したい。公開を首を長くして待っている。

 
 

おすすめの台湾本
王育徳『「昭和」を生きた台湾青年』(2011年、草思社)

1924年(大正13年)に台南で生まれた著者の人生。日本統治下で育った青年は戦後、国民党の独裁を批判し日本に亡命することとなる。41歳で亡命するまでを回想したものだが、幼少のころの記憶は鮮明で時代の空気感がひしひしと伝わってくる。故郷の土を踏む日を待たず亡くなった著者の次女が、「おわりに-その後の足跡」として亡命後の半生を記している。淡々とした筆致に父の無念を思う娘の気持ちがにじみ、心打たれる。なお、台湾では前衛出版社より王育徳全集第15巻『王育徳自伝』として刊行されている。

 
 
column#10PH酒井充子(さかいあつこ)
1969年生まれの日本人。よく台湾人と間違えられる。「いつ帰化したんですか」と聞かれたことも。慶應大学卒業後、北海道新聞記者を経て2000年からドキュメンタリー映画、劇映画の制作、宣伝にかかわる一方で台湾取材を開始。台湾の日本語世代に取材した初監督作品『台湾人生』(09)に続き、2013年春に『空を拓く-建築家・郭茂林という男』『台湾アイデンティティー』を公開。著書に『台湾人生』(2010年、文藝春秋)がある。韓国の国民的画家の妻、山本方子(92歳)を追ったドキュメンタリー『ふたつの祖国、ひとつの愛-イ・ジュンソプの妻-』が今秋公開予定。