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文芸作品の芳醇な台湾ですが、もちろん日本だって豊かで実り多いもの。
その文芸をつくりあげていく役者の一人として欠かせないのが、編集者です。
では、その欠かせない一人は、台湾をどうみているのでしょうか。
どうやらすっかり台湾のファンになってしまった、
一人の編集者の視線に映る台湾を教えてもらいました。
あの談志師匠が台湾映画を観ていた!そして話はついに台湾映画へ及ぶのです。
ええ、つながるんです、落語と台湾映画が。では、どうぞ。

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談志と志ん朝のような 後編

文=楠瀬啓之

ところで、立川談志といえば古今亭志ん朝。芸風のまったく違うこの二人の落語家がいてくれて、僕たちはずいぶんと幸せでした。同世代のライバル同士であるのは衆目が一致するところでしたが、相手を気にする度合は談志師匠の方が大きかったでしょう。「あたしのファンは志ん朝も聞くけど、志ん朝のファンは談志の高座を観に来ないネ」と静かに語られたことがあります。そして、どちらが談志で、どちらが志ん朝か知りませんが、侯孝賢といえばエドワード・ヤン。台湾映画はこの二人、みたいに僕たちは学生時代以来思ってきました。ところが、僕は『恐怖分子』と『牯嶺街少年殺人事件』に飛び上がって喜びながら、エドワード・ヤンの映画を追いかけることはしませんでした。不勉強を棚にあげていうと、志ん朝ファンと談志との関係みたいなものか。そう、侯孝賢派だったんです。

ところがこの前、台北でお世話になった西本有里さんのご主人がエドワード・ヤンの助監督を長く務めた方で(現在は映画監督)、『エドワード・ヤンの恋愛時代』にも主要キャストの一人として出演しているというので、ふいに思い立って『牯嶺街少年殺人事件』以降のすべてのヤン作品、『恋愛時代』『カップルズ』、遺作となってしまった『ヤンヤン 夏の想い出』をビデオで観ました。観てよかった! 正確には、もっと早く観るべきだったと後悔しました。

タイプはまるで違うのに、談志師匠の『悲情城市』評と同じで、「画面の美しさ、長いカットのギリギリまでを使う凄さ、俳優たちの良さ、初々しさ」がここにもあります。それに加えて、台北、なかんずく夜の台北の街と人々と空気が濡れるように匂い輝いています(これは地方を舞台とし、「人間の世界を、自然が支配している姿と共に」描くことが多かった侯孝賢の作風と対称的)。軽快と洒脱と流麗が、重厚と厳格と冷徹と相矛盾せずに、涼しい顔で同居していてすごい。台北は自らをグラマラスに撮ってくれる映画監督としてエドワード・ヤンを擁していたわけで、なかなか贅沢な都市です。もっといっぱい観たかったなあ。エドワード・ヤン、楊徳昌は長い闘病の末、2007年に59歳で亡くなりました。『ヤンヤン』(2000年公開のこの作品の撮影中に病の診断が下ったそうです)以外の作品は権利関係がややこしくなって、DVD化も劇場上映もなかなか実現しにくい状況の由。むー。

台北金馬影展執行委員會による中国語映画オールタイムベスト100のアンケートでは、1位『悲情城市』で2位が『牯嶺街少年殺人事件』、3位『童年往事』、7位が同点で『ヤンヤン』と『恋恋風塵』、11位が『恐怖分子』。相撲の好取組を見ているようなライバルぶりです。ベスト100には侯孝賢作品が最多の7本、次いでエドワード・ヤンの映画が6本入っています。志ん朝師匠が2001年に63歳で亡くなって以来、談志師匠の高座にある孤絶をふと感じる時がありました。そして、『ヤンヤン』の翌年に公開された『ミレニアム・マンボ』や『百年恋歌』現代篇で台北という都市と正面から取り組み始めた侯孝賢も、似たような孤絶を感じてはいないだろうかという思いに誘われます。

そんなよしなしごとを考えながら、今夜はこれから『童年往事』の前作『冬冬の夏休み』を観るつもり。この侯孝賢映画を観ればいつだって、盟友エドワード・ヤンが選曲した音楽が鳴り響き、そしてラストでは彼が俳優として登場し、おだやかに微笑んでいます。談志師匠は『冬冬』について、「結構でした」と満足げに書いていました。

楠瀬啓之(くすのせひろゆき)
新潮社出版部副編集長。『週刊新潮』『小説新潮』を経て『yomyom』創刊に加わり、現在に至る。
これまで関わった本に川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』、城山三郎『そうか、もう君はいないのか』、太田光『マボロシの鳥』など。最新の担当本は小林秀雄『学生との対話』、ミルン/阿川佐和子訳『ウィニー・ザ・プー』。新潮社のサイトはこちら。新潮社出版部のツイッターアカウントはこちら