『汽車に乗ったマッコウクジラ――ひなびた台湾をぐるり』(原題:『坐火車的抹香鯨』)より
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表題作「汽車に乗ったマッコウクジラ」宜蘭・蘇澳〔そおう〕

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 空がぼんやりと明るくなるころ、蘇澳駅前にはたくさんの魚売りが集まってくる。みんな朝一番の準急列車に乗って、台北・松山駅へ向かうのだ。同じ時間、松山駅には蘇澳漁港へ向かういつもの面々が列車を待っている。みんな、魚釣りに行くのである。
 だから台湾鉄道は、そんな行商人と釣り客のため、貨物車両が連結された特別列車を用意した。北上する列車が駅に停車するごとに、待っていた村人たちが魚を買う。この列車は、誰でも入場可能な魚市場なのだ。
 列車には、名物おじさんが乗っている。「パァプゥ」と、アイスを売るラッパおじさんだ。マイナス5度のタロイモアイスは、どんな魚にも負けない鮮度が自慢だそうだ。
「そうそう、この列車は遠い海からやって来た珍しいお客さんを乗せたことがあるんだ」。去年の夏、浅瀬に打ち上げられた小さなマッコウクジラが、この列車に乗って、太平洋側にある苗栗の鯨類保護センターへ運ばれていったそうだ。「蘇澳の魚はみんな、列車の旅が好きなんだよ」と、ラッパおじさんは白い歯を見せて笑った。海の近くに住む人の体からは、潮の香りがする。ラッパおじさんに言わせると、それは「お天道さん」が作った、よそでは手に入らない素敵な香水なのだ。
 朝の5時半、空は魚の腹のように白く輝き、蘇澳の魚たちは時間通り駅にやってくる。たっぷり1日かけた列車の旅が、今日も始まる。(了)

 

「チュニジアみたいな1日」高雄・田寮〔たりょう〕

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 路地を生ぬるい風が吹き抜ける。がっつりした暑さにやられて、ぼくは眠りに落ちる。昼ご飯も食べず、寝て起きたらまだ1時。時間が進むのが遅すぎる。
 お茶を一口飲んで、また眠る。頭がぼやっとなって、また目を覚ます。太陽はあんなに高い。暑さのせいで、あたりがしんと静まりかえっている。村じゅうが昼寝しているのだ。ここだけ世間からぽつんと取り残されているみたいで、いや、そもそも人なんか住んでないんじゃないか。
 ここ田寮に着いて、ぼくはまず木陰を探した。4月なのに、あまりの暑さに眩暈がした。
 それでも朝はまだ春のうちだったが、10時を過ぎたら、もう死ぬほど暑い。軒下に座って、蒲葵〔ほき〕の葉をひらひら、涼を取るおばあちゃんが、ぼくに水をくれた。水はとうにぬるくなっていた。
 7月になれば、村全体が熱を発するようになる。それでもおばあちゃんとこの路地は、黒レンガがひんやりと涼しい。野良仕事をする人は毎日、路地でごろんと昼寝する。おばあちゃんが言う。「都会の人が30分も昼寝したら、骨の髄まで冷えちゃうよ」。四合院〔しごういん〕造りの農家は、外に瓢箪を干す。中の土間で西瓜を冷やす。
 午後5時、太陽が沈みはじめ、あっちから一人、こっちから一人、村人たちが目を覚ましてきた。男はおしゃべりを始め、女は火を起こして家事をする。子どもたちは裸足のまま駆けまわる。おばあちゃんはやっぱり蒲葵の葉っぱをうちわにして、ぶつぶつ一人でなんか言ってる。
 急に空が、サファイヤのような青に染まった。一つ、二つとぶら下がる星が、でかくて眩しい。おばあちゃんが言った。「お兄ちゃん、夜は寒いから余分に1枚着なさいよ」

 農閑期の田寮の1日はこんなふうにして過ぎた。ぼくはふいに、友達が手紙をくれたチュニジアのことを思い出した。チュニジアで過ごす1日も、きっとこんな感じなんじゃないだろうか。(了)

 

「天女が撒く花」屏東・東港〔とうこう〕

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 みんな、ツァイ兄のことを「花泥棒」と呼ぶ。
 年に7か月、ツァイ兄は東港の仲間たちと代わりばんこで花を摘む。どんな花を?「それは桜さ」

 東港のどこに桜があるっていうのか。「花は、海の底に一年中咲いているさ」と、ツァイ兄が言う。港に船が入ってきた。なるほど、船いっぱいに、薄紅色の桜が花開いている。そう、桜エビのことだ。
 海に桜が咲くのは、日本以外ではこの東港海域しかない。ここでは週休二日制が採用され、漁ができるのは年に7か月きり。船はそれぞれ番号がふられ、シフト表通り、海に出る。産卵期は長期休暇をとるのが決まりだ。エビ捕りの彼らは「BCP(事業継続計画)」をよく理解している。

 ツァイ兄は花を摘む。ツァイ姉もそれを愛でるばかりじゃない。
 朝捕った桜エビは、午後、天日干しにする。東港村のすべての道が、薄紅色に染まる。台湾の南部には何もないけど、太陽だけは事欠かない。もっとも天日干しだとて、お天道さんにお任せってわけにはいかない。桜エビを干すのも技術が要るのだ。それにトゲがあるから、手袋をしてたって傷だらけになる。
「おしゃれさんには、この仕事は無理だよ」と、ツァイ姉は、桜えびをひとつかみ空に撒く。さらに、返す刀で地面にひと撒き。
 ツァイ姉の桜エビは、午後の太陽を浴びたあと、キラキラ輝き出す。これが腕の差だ。その後、彼女のエビは大いに評判となって、日本で何百倍の値がついたという。ツァイ姉が「達人」として、日本のテレビに呼ばれる日も近いかもしれない。

 春3月は、花見のころ。東港はどこもかしこも鮮やかな花が舞う。そう、天女が空から撒く花のように。(了)

 

「灯台でコーヒーを」基隆

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 基隆港に興華島という島がある。そこに灯台があり、灯台には喫茶店がある。マスターは林さんという、いかにも台湾らしいおじさんで、とてもコーヒーを淹れるタイプには見えない。

 灯台には展望台がある。斜めにせり出したガラスはぼんやり曇って、窓枠にところどころ塩の結晶がこびりついている。空と海が青一色に広がるパノラマを、たくさんの釣竿がタテに区切る。遠くに眺めていると、まるでお線香みたいだ。ロマンチックな景色が見えるわけじゃないから、展望台にはカップルも来ない。いちばん多いのはトイレを借りに来る釣り客だ。およそコーヒーを飲むのに、これほど適さない場所はない。釣り客にはビールがお似合いだろうに、どうしてコーヒーを売ってるのか、とマスターに訊いた。すると林さんは答えた。「この灯台だって、ロマンチックなころがなかったわけじゃないんだ。ただ、それはもうずっと前に終わっちまった」

 ――2、30年前、林青霞〔ブリジット・リン〕の純愛映画が大人気だった。主人公カップルが大げんかすると、その次のシーンはなぜか必ず海辺で、さめざめと泣いている女を、男が見つけ出して仲直り、って相場が決まっていた。だからさ、コーヒーを売るのにこれ以上いい場所はなかったのさ。
 話を聞いている間、真っ黒に日焼けした男が入ってきて、アイス“になった”コーヒーを1杯買っていった。
 ぼくは空と海を眺めた。防波堤の釣り客たちが、口のきけぬ人のように並んで立っている。静寂の中、“いつでも来い”感だけが漲る、よくある釣り光景である。釣り客たちの足元には栄養ドリンク「保力達〔バオリーダ〕」が置かれている。さっきの黒い男が、買ったコーヒーに「保力達」を注いだ。驚くことはない。それが男の飲み方というやつだ。

 2月の午後4時、海風は鋭く、釣り人たちの顔を削ぐ。空の星たちが目を覚ました。あと1時間ほどしたら、お月様のお出ましだ。(了)

 

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イラスト提供 Nobu
 天野健太郎
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