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歴史をひも解く際に注意深くあらねばならぬであろうことの一つに、
ほどこうとしている歴史が、どんな部分の事柄に、どんな立場の人が、
どういうスポットライトを当てようとしているのか——があります。
眼差しのありようが変われば歴史はいとも簡単に変わるもの。
では、台湾史にかかわる書籍はどんな眼差しをもって描かれているのでしょうか。
多様な台湾の、多面的な奥深さを、じっくり味わってみませんか。
シリーズ7回目は統治時代の台湾経済にまつわる人たちのお話です。

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台湾経済をいろどる人々(1)

文=黒羽夏彦

尽きせぬ宝に満ちた島・台湾は一獲千金を目論む者たちを絶え間なく呼び寄せてきた。貿易や産業開発といった事業活動は、単なる金儲けの手段という以上の使命感や情熱、あるいはリスクを背負った冒険心が駆動力となっている。他方で、ドロドロとした卑しい醜さも垣間見られ、さまざまな思惑が相まって極めて人間臭いドラマが繰り広げられていた。

台南の海沿いにある街、安平。世界最初の株式会社といわれるオランダ東インド会社が築いたゼーランディア城(安平古堡)のほど近くに、台湾開拓史料蠟像館という古びた洋館が佇んでいる。イギリス系の貿易会社・徳記洋行(テイト商会)の拠点だった建物である。

アロー戦争(第二次アヘン戦争)の結果として結ばれた天津条約(1858年)によって安平、基隆、淡水(台北近郊の港町)、打狗(現在の高雄)が開港されて以降、徳記洋行をはじめ欧米系の貿易会社が台湾へも進出するようになった。清朝末期には樟脳、茶、砂糖などの輸出により世界経済と結びつく形で台湾内部の経済も影響を受ける。同時にアヘンの輸入も急増してアヘン吸引の習慣が台湾社会の中に定着、輸入額の約6割をアヘンが占めていたともいわれる。

下関条約(1895年)で日本が台湾を領有した後、このアヘンにどのように対処するかが問題となった。日本にはもともとアヘンを吸う習慣はない。放っておいたら、アヘン吸引の悪習が日本内地にも広がりかねない。そうした懸念からアヘン厳禁論が唱えられた。他方で、当時の台湾社会では普通の嗜好品〔しこうひん〕としてアヘンは受け入れられていた。ただちに厳禁すれば猛反発は必至。ただでさえ日本の占領に対して台湾人の敵愾心〔てきがいしん〕が広がっている以上、下手に刺激するわけにもいかない──。

議論が煮詰まってきた中、一つの提案が出された。アヘンを厳禁したら反乱を招き、鎮圧に膨大な出費を要する。ならば、原則禁止とした上で、アヘン中毒者には通帳を交付し、登録した者にだけアヘンを売る。アヘンの専売制度を実施し、末端販売価格を引き上げれば総督府の収入も大幅に増加する。この増収分を衛生事業に回せばよい。

提案者は内務省衛生局長だった後藤新平。こうしたアヘン漸禁策の提言1が認められた後藤は植民地台湾の民政局長(後に民政長官)に抜擢され、台湾統治の基盤づくりで辣腕を振るうことになる。後藤については汗牛充棟といってもよいほどおびただしい書籍が刊行されているが、台湾在任時の活動については山岡淳一郎『後藤新平──日本の羅針盤となった男』(草思社、2007年)によくまとめられている。

アヘンは人を堕落させる一方、医薬用のモルヒネの原材料として使えば有益でもある。アメリカ留学から帰国して製薬事業を起こした星一(ほし はじめ)──ショート・ショートの名手・星新一の父親──は、モルヒネの国内製造という課題に取り組んでいた。技術的には可能である。だが、原材料をどうやって手に入れるか。いろいろと調べてみた結果、台湾のアヘン専売制度に目を付ける。台湾総督府が海外から輸入するアヘンの効率的な入手方法を思い付き、余剰分を製薬用に払い下げてもらおうと考えた。民政長官の後藤新平とはもともとウマが合う。話はとんとん拍子に進んだ。何もかも順調、のはずだったが──。

続きます!

 
 

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OLYMPUS DIGITAL CAMERA黒羽夏彦(くろはなつひこ)
台湾専門ブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」、書評ブログ「ものろぎや・そりてえる」を運営。1974年生まれ。出版社勤務を経て、2014年3月より台南の国立成功大学文学院華語中心へ留学。東アジアの近現代に交錯したさまざまな人物群像に関心を持ち、台湾に視点を置いて見つめ直したいと考えている。

  1. 当初、アヘン漸禁策の重点は禁止に置かれていた。ところが、専売制度による収益が大きかったため、いつしか財政上の利点が優先されるようになる。その後、これが大陸でのアヘン密売につながっていく。たとえば、劉明修『台湾統治と阿片問題』(山川出版社、1983年)を参照のこと。 []