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歴史をひも解く際に注意深くあらねばならぬであろうことの一つに、
ほどこうとしている歴史が、どんな部分の事柄に、どんな立場の人が、
どういうスポットライトを当てようとしているのか——があります。
眼差しのありようが変われば歴史はいとも簡単に変わるもの。
では、台湾史にかかわる書籍はどんな眼差しをもって描かれているのでしょうか。
多様な台湾の、多面的な奥深さを、じっくり味わってみませんか。
シリーズ5回目は台湾研究にまつわるお話です。

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台湾経済をいろどる人々(2)

文=黒羽夏彦

ある日、星一のもとへ思いがけない通知が届いた。保税倉庫に保管中のアヘンは違法だからただちに出頭せよ、という召喚状である。この後、彼は泥沼の裁判闘争に巻き込まれてしまう。総督府の認可を受けていたのだから、本来なら問題はない。だが、この裁判の背後にはライバル業者の策動、星を毛嫌いする官僚の嫌がらせ、そして政局的な思惑まで絡まり合っていた。

当時、首相となったばかりの加藤高明(憲政会)は後藤新平と仲が悪い。また、加藤の岳父は三菱の岩崎弥太郎で、台湾で三井や鈴木商店といった他の商社の羽振りがよいのは面白くなかっただろう。新たに台湾総督に就任した伊澤多喜男は総督府内の後藤系や政友会系の人脈をつぶし、憲政会系の人事で入れ替えようとした。後藤直系とみなされた星一は、その槍玉にあげられたわけである。結論ありきで進められる裁判の不条理。星新一『人民は弱し 官吏は強し』(新潮文庫、改版、1978年)は、それでもしぶとく戦い続ける父の姿を活写している。

なお、星一を後藤新平に引き合わせたのは杉山茂丸──玄洋社出身のフィクサーで夢野久作の父親──だったらしい。東京で療養中だった後藤はアイデアマンの星一をいたく気に入って台湾へ帰任する際に帯同し、星一は台湾で2か月ばかりを過ごした。その頃、やはり後藤によって台湾総督府の殖産局長に抜擢されていた新渡戸稲造とも星一は以前から知り合いで、二人の再会を喜ぶシーンが星新一『明治・父・アメリカ』(新潮文庫、改版、1978年)に出てくる。

台湾総督府は日本企業の保護政策によって清代から台湾貿易に大きな力を持っていた欧米系の洋行を駆逐したが、それだけでは足りない。植民地台湾の財政的独立を図るため、何よりも産業の振興が必要であった。

製糖産業に注目した後藤新平は、札幌農学校出身の農学者である新渡戸稲造に製糖事業の近代化を委ねた。台湾製糖株式会社(三井系)が設立した台湾初の近代的な製糖工場である橋頭工場(高雄市)は現在、台湾糖業博物館となっているが、そこには新渡戸の銅像がある。彼と台湾製糖事業の関わりについては、まどか出版編『日本人、台湾を拓く。』(まどか出版、2013年)に記されている。本書は新渡戸も含めて10人の日本人を取り上げ、人物伝を軸とした産業開発史として読める。

製糖業の進歩は台湾の財政的独立に大きく寄与した。他方で、それは台湾社会内部に著しいひずみを引き起こすことにもなる。製糖会社も資本主義の論理に従って経営される以上、利潤の最大化が目標となる。原材料を安く仕入れるため、台湾人サトウキビ農家は安く買いたたかれてしまう。製糖会社への従属化に対する反発から農民運動が激しくなり、政治的自覚はやがて民族運動へとつながっていく。人道的理想主義を胸中に抱いていた新渡戸には農民協同組合の構想もあったが、経済的現実の中では全く無力であった。

こうした事情については矢内原忠雄『帝国主義下の台湾』(岩波書店、1988年)が分析しており、今に至るも地域研究の古典として読み継がれている。若林正丈編『矢内原忠雄「帝国主義下の台湾」精読』(岩波現代文庫、2001年)の解説を参照しながら読み解くと有益であろう(ただし、原著の第二篇「台湾糖業帝国主義」は省略されている)。なお、新渡戸は台湾を離れた後、自らの経験を踏まえて京大や東大で「植民政策」の講義を行う。矢内原はそれを聴講した一人であった。

一時は三井・三菱をしのぐ勢いを見せた鈴木商店も実は台湾と縁が深い。米騒動で焼討ちされた鈴木商店は本当に「悪徳業者」だったのか。こうした疑問から綿密な取材によって書き上げられた城山三郎『鼠──鈴木商店焼討ち事件』(文春文庫、新装版、2011年)の主人公は鈴木商店の大番頭・金子直吉。樟脳の独占事業を目論んでいた金子は積極的に後藤新平へ近づく。後藤の意図は樟脳専売制にあると見て取るや、ただちに台湾に来ている樟脳関係の企業再編に奔走し、その見返りとして樟脳の一手販売権を手に入れた。さらに砂糖事業にも手を染め、後藤の口添えで台湾銀行の融資を受ける。

鈴木商店の急成長はまさに台湾を踏み台にしたものであった。しかし、果敢な攻めの姿勢で事業を拡張した金子の手腕は、他方で脇の甘さも否めない。鈴木商店の不良債権を多数抱え込んでいた台湾銀行は、1927年の金融恐慌で鈴木商店が没落したあおりを受けて一時休業に追い込まれてしまった。

このように見てくると、台湾は外部の勢力に振り回されてばかりだったかのように思えてしまう。しかしながら、台湾人自身もさまざまな制約をかいくぐり、したたかに経済活動を行っていた。たとえば、河原林直人『近代アジアと台湾──台湾茶業の歴史的展開』(世界思想社、2003年)は清代末期から日本統治期にかけての茶業をテーマとしているが、とりわけ台湾人茶商の活動についてその主体性に着目しながら論じている。

戦後の台湾経済では、日本資産を接収した国民党系大企業が国内市場を掌握し、利権から排除された台湾人中小企業は積極的に海外を目指すという二重構造が形成された。また、日本語世代の存在により日本の資本や技術を積極的に取り込むことができた。さらに、戦後の経済政策ともうまくかみ合い、電子産業をはじめ世界有数の経済立国を成し遂げたことは現在目の当たりにしている通りである。

次回は10月お届けの予定です

 
 

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#2概説書を読んでみる(2)→
#3 台湾近代美術の葛藤(1)→
#4 台湾近代美術の葛藤(2)→
#5 台湾研究に情熱をかけた人々(1)
#6 台湾研究に情熱をかけた人々(2)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA黒羽夏彦(くろはなつひこ)
台湾専門ブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」、書評ブログ「ものろぎや・そりてえる」を運営。1974年生まれ。出版社勤務を経て、2014年3月より台南の国立成功大学文学院華語中心へ留学。東アジアの近現代に交錯したさまざまな人物群像に関心を持ち、台湾に視点を置いて見つめ直したいと考えている。