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まさか僕らがこうなるとは   文=天野健太郎
 
 
 

いささか個人的な話。台湾留学は本来、ビジネス上有用であろう外国語、いわゆるスキルとしての中国語を学ぶのが目的であった。帰国後の職探しの足しになれば……程度の考えで2年ほど勉強して、日常会話をこなせるようになったわけだが、何か物足りない。なら、「話す聞く」の次に「読み書き」だと、語学学校の先生に中国語の小説、台湾人作家を教えてもらった。おもしろいのでどんどん読んだ。本末転倒であった。

そんなこんなで台湾留学最後の1年は、政治大学の台湾文学の授業(大学院)を聴講することにした。無料である(レポートは出した)。前後期で、台湾戦後文学の流れをざっくり学び、好きな作家をたくさん見つけた。もはや蟻地獄であった。

台湾文学の先生は、陳芳明という。

彼は台湾文学研究の第一人者であるが、同時に新聞などで舌鋒鋭い政治評論を発表。かつては民進党の宣伝部長を務めた。台湾という土地に生まれた文学をすべて愛する彼だが、1992年に帰国する前は、国民党政府の入国禁止リストに載せられていた。70年代より留学先のアメリカでアムネスティ人権運動に参加し、台湾国内の「党外活動」、つまり国民党に抵抗する勢力と呼応して政府批判を繰り返していたからだ。ポストコロニアルの手法で台湾の歴史をひも解き、また戦前「台湾共産党」研究のさきがけでもある彼だが(謝雪紅の評伝は邦訳あり)、かつて大学で学んでいたのは、島の現在となんの関係もない宋代中国の歴史であった。彼にとって台湾とは、あとで発見したものなのだ。台湾文学もまた、60年代の青春のころ夢中だったが、長い政治活動の時代にずっと忘れられていたものだ。とんだ回り道であった。

陳芳明の回顧録『昨夜雪深幾許』(昨夜の雪の深さは?の意)(印刻出版、2008年)は、そんな人生の紆余曲折を、たくさんの師、友との出会いとともに描いた一級品の青春記である。それは同時に、戦後台湾の知識人たち(師や友)の理想と覚醒、挫折と懊悩〔おうのう〕、情熱と希望の記録であった。政治権力の抑圧と国際情勢の変容の中、皆、一筋縄ではいかない(一歩先のわからぬ)人生を送ってきたのだ。

本書のクライマックスは、政治活動に見を投じた息子を父が責めるシーンである。台湾で当局の監視を受ける家族の苦しみを訴えるものだが、それ以上に台湾の歴史が抱える矛盾(言語と価値観の齟齬〔そご〕)が父子の間に大きな溝を作っていた。彼は台湾の戦前(歴史と文学)を知ることで父を理解する、が、それはずいぶん後の話である。

陳芳明先生は台湾文学だけでなく、人生とは予定通りにはいかない(が、どれほど回り道しようが結局、原初の夢に戻るものだ)と、教えてくれたのかもしれない。

 
 

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※本文は『な~るほどザ台湾』2013年11月号掲載を加筆・修正したものです。

天野健太郎(あまの けんたろう)
1971年、愛知県生まれ三河人。京都府立大学文学部国中文専攻卒業。2000年より国立台湾師範大学国語中心、国立北京語言大学人文学院へ留学。帰国後は中国語翻訳、会議通訳者。聞文堂LLC代表(ツイッターアカウント「 @taiwan_about 」)。台湾書籍を日本語で紹介するサイト「もっと台湾(http://www.motto-taiwan.com )」主宰。訳書に『台湾海峡一九四九』龍應台著(白水社)、『交換日記』張妙如、徐玫怡著(東洋出版)、『猫楽園』 猫夫人著(イースト・プレス)。『日本統治時代の台湾』陳柔縉著(PHP研究所)。俳人。