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(3)台湾人が日本に残した足跡

 

も:台湾が日本の植民地だった時代、多くの台湾人が日本へやって来ました。彼らが日本に残した足跡についてうかがいたいと思います。日清戦争の結果、日本が台湾を領有したのは1895年のことです。翌年の1896年、李春生〔りしゅんせい〕1が東京へ来ました。彼が見た東京の印象はどんな感じだったのでしょうか?

陳:彼は日本での見聞をもとにした旅行記を『台湾新報』(後の『台湾日日新報』)に掲載しています。上野の動物園や博物館、それから国会、見るものすべてが新鮮だったようです。当時の台湾は農村社会で、これといったものは何もありませんでしたから、カルチャーショックは相当に大きかったはずです。

も:明治日本は西洋文明との落差を痛感して急速な西洋化を進めていましたが、李春生も東京で西洋的な文物を目の当たりにして、同じような切迫感を抱いたわけですね。

陳:西洋化を目指していたのは日本だけではありません。清朝を倒した中国の革命家たちも東京へ留学して近代的な知識を学ぼうとしていたでしょう。大きな時代の流れの中で捉える必要があります。

も:東京駅の前で、林献堂〔りんけんどう〕2 をはじめ台湾議会設置請願運動の人々が記念撮影した写真がありますね。この運動にはどのような意義があったのでしょうか?

陳:当時、台湾総督府は独裁的な権力を握っていましたから、台湾人には民主的な制度が欲しいという気持ちがありました。清代にはそんな発想すらありません。日本統治時代に入ってから民主主義への要求も芽生え始めたと言えます。日本の大正デモクラシーが台湾へ波及したという側面もあるかもしれませんが、それだけではありません。やはり台湾総督府は言うことを聞いてくれない。ですから、もっと上の人たち、つまり東京という政治的中枢へ直接訴えかけないといけいない。台湾人の民族性は穏やかですから、テロとか過激な手段は好みません。あくまでも合法的に運動を展開しようとしました。

台湾議会設置請願運動は実質的には東京の留学生が担っていました。林献堂のような有名人はその上に乗っかっている感じです。

も:東京にいた留学生はどんな人たちでしたか?

陳:多くの場合、やはり裕福な家庭の子弟ですね。東京で苦学した楊逵〔ようき〕(19061985、『新聞配達夫』で日本の文壇に登場したプロレタリア作家)のような人はむしろ例外的です。

台湾人女性の留学生もいました。例えば、女医ですね。台湾総督府医学校は女性の入学を許可していませんでしたので、台湾で最初の女医さんは東京女子医学専門学校(現在の東京女子医科大学)の出身です。ここを出た眼科の女医さんに会ったことがあります。怒ったところを誰も見たことがないほど本当に優しいおばあちゃんです。日本の洗練された教育を受けたんだなと感じました。私も年取ったらこうなりたい。もう理想のおばあちゃんです!

も:本書には林献堂が林熊徴〔りんゆうちょう〕 (18891946、台湾五大名家の一つ・板橋林家の当主) に招かれて、東京の旅館「松泉閣」で裸踊りを見たという話が出てきます。

陳:裸踊りとはいっても、女性のストリップとか、そういうのではありません。男性がお腹に顔を描いて踊るという…。

も:ああ、日本の酒宴で盛り上がると、そうやって場を盛り上げる人がいましたね。しかし、林献堂といえば台湾民族運動のリーダーとして台湾総督府から睨まれる存在、林熊徴といえば逆に台湾総督府と利権的なつながりの深い「御用紳士」、お互いに敵対し合っているイメージがあります。そういう二人が一緒にお酒を飲んでいたというのが面白いです。

陳:はい、やはり色々なつながりはあったわけです。実際の歴史は複雑で、単純に黒白つけられるものではありません。安易に貼られたレッテルは剥ぎ取っていく必要があります。

も:本書には芸術を志した留学生も登場します。彼らは東京でどのようなことを学び、その後の台湾にどのような影響をもたらしたと考えられますか?

陳:うーん、芸術というのは影響関係が客観的に見えるものではありませんから、難しい問題ですね。例えば、音楽家の呂泉生〔ろせんせい〕(19162008)のようにたくさんの生徒を教えたのならともかく、油絵の陳澄波〔ちんちょうは〕(18951947)は二二八事件で命を落としてしまいましたし、日本画の陳進〔ちんしん〕(19071998)の場合にはそもそも日本画というジャンルがなくなってしまいましたし…。戦後は存分に能力を発揮できる舞台がなかなかありませんでした。

芸術に限らず、様々な分野の留学生が東京に来ていました。彼らの影響をはっきりと見て取るのは難しいですが、少なくとも中堅層として台湾社会を支え、台湾が発展する力となったことは確かだと思います。

中国人留学生の東京体験について書かれた本はたくさんありますね。魯迅一人だけでも結構あります。しかし、台湾人留学生についてはあまりありません。日本と台湾の交流はこんなに密接なのに、なぜでしょうね。もっと調べる必要があると思います。

 質問に答えながら不明瞭な部分に行き当たると「ああ、今すぐ図書館へ調べに行きたい!」と身悶えしていた陳柔縉さん。「優秀な若い研究者が活躍し始めているから、私の出番はもうありません」などと謙遜されていたが、いやいや、ヴァイタリティーあふれる行動力は健在である。次は日本統治時代の広告からうかがえるマーケティングについて新刊を準備中だという。当時の時代相をどのように浮かび上がらせてくれるのか、楽しみである。

(了)

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取材・文=黒羽夏彦   通訳=黄碧君

OLYMPUS DIGITAL CAMERA黒羽夏彦(くろはなつひこ) 台湾専門ブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」、書評ブログ「ものろぎや・そりてえる」を運営。1974年生まれ。出版社勤務を経て、2014年3月より台南の国立成功大学文学院華語中心へ留学。東アジアの近現代に交錯したさまざまな人物群像に関心を持ち、台湾に視点を置いて見つめ直したいと考えている。

  1. 「烏龍茶の父」と呼ばれる実業家でキリスト教思想家。本書にも登場するイケメンセレブ・李延禧〔りえんき〕 []
  2. 1881-1956、台湾五大名家の一つ・霧峰林家〔むほうりんけ〕の当主で、台湾民族運動穏健派のリーダー。 []