『図説 日本統治時代の台北城』(原題:『日治台北城』)より

作品概要を見る→

 

総督官邸1

圖-日治台北城_總督官邸全區

 

1901年、台北城内の東門近くに、周囲を広大な庭園と高い塀に囲まれたルネッサンス式建築が完成した。台湾総督の官邸である。
日本の台湾統治が始まってしばらくの間は動乱の時代で、統治はなかなか安定しなかった。こうした背景の下で建設が決まった総督官邸は、日本の台湾統治を象徴するために豪勢な造りにする必要があった。
そして児玉源太郎の総督任期内に総督官邸は完成、当時の社会において新しい時代の到来を感じさせるものとなった。
総督官邸は日ごろ総督が生活する場所というだけでなく、ときにはここで実務を行ったり会議を招集したり、また民政長官がここに来て実務を行うこともあった。このほかたびたび外国からの使節や来賓を迎えたり、各地の文人、名士、地方官僚、宗教家などを招いて茶会や詩会を催したりもした。
1925年には台湾総督府始政30周年を記念して祝賀会が開かれたほか、1928年、昭和天皇即位のときには祝賀会と園遊会も開かれた。このとき総督は統治者の権力を示すために原住民部落の首領を官邸に入れて見学させている。
総督官邸には通常業務のほかにもうひとつ重要な役目があった。それは台湾を訪れる皇族の対応である。中でも1923年、ときの皇太子(後の昭和天皇)が台湾を訪れた際は盛大な歓迎が行われた。皇族が台湾を訪れるときはいつもこの官邸を見学し、ときにはここに宿泊することもあった。皇族が宿泊する場合、総督は一時的に官邸から離れるとともに、皇族の到着前に予め建物の修築や設備の更新を行うなど、細心の注意が払われた。
総督官邸が完成したとき、あまりにも贅沢だと非難の声があがった。しかし、民政長官の後藤新平は「台湾総督は我が国の、南方を治める王である」といって台湾総督の地位の高さを強調、また総督官邸の担う役割と重要性から考えると豪勢な造りは当然のことだと非難の声を一蹴した。
総督官邸は日本統治初期を代表する建築であり、その美しさの中には当時の上流階級の住宅を象徴する要素がいくつも含まれている。また、後になって民間に登場する台湾人富豪たちが好んで建てた洋館の元祖ともいえる存在で、台湾の近代建築史上重要な地位を占めている。

 

総督官邸(初代) 1899-1901年建造

 

 

総督官邸(二代目) 1911-13年改築。シロアリ被害による修築だが、外観・内部ともに大きな変更が加えられた。

ピクチャ-1ピクチャ-2

総督官邸(二代目)の内部

 

 

新起街市場2

 

 

圖-日治台北城_公共市場

新起街市場。十字と八角の形がよくわかる。

 

日本当局が台湾の衛生環境改善を進める中で、重要な役割を占めたのが公設市場の建設である。
日本の台湾統治が始まって十年ほど経過したころから、ある程度の規模を備えた町には公設市場が建設されるようになった。公設市場の規模はさまざまで、地方都市においては衛生環境の改善という点で重要な役割を担っていた。
公設市場の建設費用は公共衛生費(公設の魚菜市場や精肉場などを作り、その収益をすべて衛生費に充てるというもの。当時の民政長官後藤新平の発案による)から捻出された。そして市場の完成後はそこで商売をする業者から使用料を徴収し、これが地方税収となった。
衛生問題を考慮して市場の中では屠殺は禁止、これらを管理する団体も組織された。設計については利便性、採光、通風などが重視された。このため天井を高く設計、人々は明るく風通しのよい環境の下で買い物ができるようになった。こうした台湾の公設市場は当時の最先端を行くもので、日本本土の近代的な市場でさえ足元に及ばなかったという。
台北は面積も広く、人口も多かったことから多数の公設市場が建設された。このうち西門町の新起街市場、城南の南門市場、城東の幸町市場などは日本人客が多く、台湾人居住区にある萬華の新富町市場、大稻埕の永楽町市場、士林市場などは台湾人客が多かった。
近代的な市場がいくつも建設される中、西門町の新起街市場はひと際人目を引く独創的な外観で、台北のランドマーク的建築になっていた。場所は西門ロータリー(楕円公園)のすぐ横で、メインの入口は二階建ての高さを有する八角楼にあった。この八角楼の外観は赤レンガに白帯スタイルが特徴的な辰野式が用いられたほか、八角形の各面上部に屋根窓を作るなど見るものに新鮮な印象を与えた。
八角楼の後方には同じく赤レンガ造りの十字型建物が繋がり、ここが生鮮市場になっていた。このような特殊な設計が用いられたのはここがかつて墓地だったため、十字架と八卦を合わせることで魔除けの効果を期待したからだといわれる。事実はともあれ、新起街市場の外観は日本統治時代に数多く建設された公設市場の中でもたいへんめずらしいものだった。
新起街市場の周囲には広場、公衆トイレ、自転車置き場や車置き場(雨避けのついたもの)、稲荷神社などがあった。1928年には八角楼の東側と南側に売店棟が増設され、衣類、日常品、金物などを売りはじめたため、市場の規模はさらに拡大した。夕方五時以降、周囲は食べ物を売る屋台の集まる夜市となり、西門町のにぎやかな風景を作り出していた。

 

作品概要を見る→

 

文・訳 木下諄一(きのしたじゅんいち)

台湾在住作家。小説『蒲公英之絮』(印刻出版社)が第11回台北文学賞を受賞。自由時報のコラムをまとめた『随筆台湾日子』(木馬文化出版)が好評発売中。

  1. 今の台北賓館 []
  2. 今の西門紅楼(西区文創中心) []