歴史は私たちを分断するけれど前編からの続き)

文=楠瀬啓之

陳老師の話に続いて、黒川さんが注釈ふうに、「皇民作家」について語りました。編著である『〈外地〉の日本語文学選1 南方・南洋/台湾』には、陳さんが名前を挙げた楊逵や呂赫若は勿論、他にも龍瑛宗〔りゅうえいそう〕(19111999)、張文環〔ちょうぶんかん〕(19091978)などの作品が収録されています(後の直木賞作家で“金儲けの神様”邱永漢の若き日の小説も収められていますが、彼は日本人とのハーフなので話が少し込み入ってきます)。

日中戦争が勃発し、戦局が激しくなる中で、植民地台湾では「同化」政策をさらに強めた「皇民化」が始まります。そんな流れの中で、子どもの頃から日本語を教えられてきた彼らは、

「早熟を強いられたのだと思います。『皇民』と呼ばれる自分は何者か、『日本人』であるとはどういうことか、日本語で育ち、日本語で自我を孕んで、内的葛藤を日本語で書かざるをえなかった作家たちです。それも、自分たちで望んだわけではない近代化の大波の中でね」(黒川さん)

P9059741それを受けて、さらに若い世代である司会の温さんは、「私の場合、台湾にいる祖父母は日本語、日本に住む両親は台湾語と中国語を使っています。台湾では親の世代と祖父母の世代で言葉が通じないことは、よくあることです。そして小学校から日本語を習ってきた私はご覧の通り、外見は日本人にしか見えないでしょう。子供の頃から書くことは好きでしたが、いつだって『私は何語で書いているのか』『私の母国語で書こう』などという意識を持ったことはないんです」

 母国語とは何か。国家。近代化。戦争。国民。植民地。制度。多言語。教育。差別。亡命。抵抗。宣撫。喋ること。読むこと。書くこと。文学は母国語でどもるように書くことだと言ったのは誰だっけ。ミラン・クンデラはフランス語で。クレオール文学って――そんなやくざな言葉で脳内をぐるぐるさせていると、黒川さんが落ち着いた声で、

「先日札幌の市議が『純粋なアイヌはもういない』旨を発言して問題になりましたね。それに対して、僕たちは『何をバカなことを』と言えばすむのだけども、ふと、『そうだ、その通りだ、純粋な民族なんて世界のどこにいる?』と言いたい気もしてきます」

温さんは軽く頷いて、

「私たちには『母国語は一つに決めないといけない』という強迫観念があるのかもしれません。これは国境線のあり方を考える時も同じですね」

と指摘しました。なるほど。では、国境線が複数ある時、国家とは何か? 国民とは誰か? 言葉はどうなるのか? 「のまど」の中の空気がピンと張り詰めます。

そして甘さんは〈日本人になりたかった台湾人少年の物語〉である自作の長篇『鬼ごろし』(原題『殺鬼』)について静かに語り始めました。

舞台は戦前から戦後にかけての台湾、主人公は保守的な祖父に育てられた暴れん坊の少年で、彼はずっと「おれは本物の日本人になりたい」と願っている。やがて日本軍人の養子に迎えられ、軍人になったが、戦争で片目を失ってしまう。やがて国民党政府が台湾にやってきて、中国へ兵士を送り込むための徴兵をした際、彼は目をつけられるが、祖父が彼の片腕を切り落として……。

「ここから先は内緒です。ある日本人に、この主人公はマンガ『ONE PIECE』の登場人物に似ていますねと言われましたが、そうなんですか!? もうひとつ、『鬼ごろし』というタイトルと同じ名前のポピュラーな日本酒があることを、今回東京に来て初めて知りました」

どうして、主人公を〈日本人になりたい台湾の少年〉という設定にしたのでしょうか?

「そもそもは、台湾の歴史を書きたかった。その切り口が〈日本人になりたい少年〉だったんです。僕が小学校の地理の時間で学んだのは、中国の山や川の名前でした。鉄道好きだった僕は、中国の東北地方から香港までの駅名を全部ソラで言えたんです。それは先生から褒められることでした。だって、中国は台湾にいる人間のものだから! けれど、それはもう昔話で、せいぜい今は『中国共産党に皆殺しにされなければ、それでいいや』くらいのものでしょう」

P9059749一息つくと、

「地理に限らず、歴史だってそうです。僕が子供の頃から較べても、ずいぶん変わりました。かつて国民党政府は日本を敵視していましたが、今ではみんな、『切り離せない隣国』として見ています。日本統治時代の資料も出てくるようになりました。僕は上の世代よりも、もっと多面性を持って、自由に日本を見ている自信があります。日本統治時代を身をもって知っている世代は、どうしてもマイナス面を見てしまいますからね。これまでにも、統治時代をリアリズムで描いた小説はありました。でも僕は実際には経験していない若い世代として、マジックリアリズムの手法で『鬼ごろし』を書いたんです。経験していなくても書ける。いや、経験するよりも、多面的に、深く、真実を書けるんです」

これはイベント終了後、立ち話をしていた際の一コマですが、「あなたの作品にはガルシア=マルケスなどの影響はあるのですか?」と某さんが訊ねると、甘さん平然かつ淡々として曰く「マルケスを読んだことはあるけれど、僕の作品の方がもっとマジックリアリズムだと思う」。このキッパリした言葉と態度はカッコ良かった!

予定の2時間はたちまち過ぎ、温さんが締めくくりの言葉を陳さんに頼むと、老師はすぐにマイクを取って、

「今日はまず入り口です。ともあれ、歴史は遠いものだが、文学作品を読むことで、そして作者の魂に触れることで、時代や地域を超えて近づける――私はそう信じています。何より、歴史は私たちを分断するけれども、文学は私たちを結び付けてくれるのです」

と、しびれるセリフを力強く言ってくれたのですが、ここまで辣腕の名通訳者ぶりを発揮していた聞文堂の天野氏が老師の殺し文句を思いっきり噛んでしまって、客席は微妙に(けれども好意的に)どよめき、何だかぐだぐだで終わったのも実に台湾らしい(?)エンディングでありました。

(了)

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楠瀬啓之(くすのせひろゆき)

新潮社出版部副編集長。『週刊新潮』『小説新潮』を経て『yomyom』創刊に加わり、現在に至る。
これまで関わった本に川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』、城山三郎『そうか、もう君はいないのか』、太田光『マボロシの鳥』など。最新の担当本はリチャード・バック/五木寛之創訳『かもめのジョナサン完成版』AA・ミルン/阿川佐和子訳『ウィニー・ザ・プー』、佐藤優『いま生きる「資本論」』など。新潮社のサイトはこちら。新潮社出版部のツイッターアカウントはこちら