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“日本語”文学が描く台湾               文=天野健太郎

日本人作家の作品が中国語に翻訳され、台湾で刊行されることは、もう話題にもならない。そして、毎年年初に行われる台北国際ブックフェアを始めとして、たくさんの日本人作家が台湾に招かれ、サイン会・講演会などで読者と交流を深めている。しかし、作品のなかで台湾を描いた日本人作家は少ない。たまに台湾に(招待されて)行ってきました、なんてエッセイがあるが、その話題は――鼎泰豊と台北101、台湾のファンは熱狂的で……、くらいが関の山である。作家とはいえ、中国語ができないから、無理もない。

台湾を書いた小説といえば最近では吉田修一『路(ルゥ)』(文藝春秋)である。台湾に住む普通の(日本語ができない)台湾人が何人も登場し、台湾人同士のやりとりが繰り広げられていて、びっくりした。日本の建築会社で働く(日本語ができる)台湾人主人公も、人物造形はしっかり台湾人で、その描写が上手ければ上手いほど、日本語で台湾人を描くということが不思議に思えてくる。

9月に日本で、日台作家交流イベントを開催することになった。日本統治時代の台湾がテーマだが、日本側はいったい誰をお呼びすればいいか、ずいぶん悩んだ。

日本統治時代は非常に特殊な時代である。台湾人が、母語ではない「国語」=日本語で、小説を書いていたのだ。当初は中国語、台湾語の創作も試みられたが、日本語教育の普及と戦争ムードが深まるにつれ、実質日本語のみとなり、台湾人作家の作品は『改造』など日本の雑誌にも掲載され、当時の抑圧された庶民のくらしや、自らのアイデンティティの揺れを描き、一定の評価を得た。

黒川創『国境 完全版』(河出書房新社)を読んだ。戦前の満州、朝鮮などで、日本語文学がどう書かれたか、作家たちがどう行動したかに光を当てた評論集だ。無論、台湾人作家たちも登場する。例えば張文環〔ちょうぶんかん〕や呂赫若〔ろかくじゃく〕、王昶雄〔おうしょうゆう〕らが、複数の言語、複数のアイデンティティを強いられてなお必死で生きた姿を描いている。

イベントでは、そんな黒川創さんと、日本語で書く台湾人作家・温又柔さん、ジャーナリスト野嶋剛さんをお招きし、台湾の作家・陳芳明さん、甘耀明さんとともに、日本統治時代台湾の文学と人々について語っていただく。当たり前のように話している母語でなく、後天的に習得した言語で行う文学表現とは、いったいどんなものだったのか、当時、日本語で台湾人を描くということがどういうことだったのかを、知りたいと思う。

日台の作家さんの交流イベントは、来年まで続く。これから先、どんな日本語文学が、どんな台湾を描くだろう?

※本文は『な~るほどザ台湾』2014年9月号掲載を加筆・修正したものです。

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プロフィール

天野健太郎(あまの けんたろう)
1971
年、愛知県生まれ三河人。京都府立大学文学部国中文専攻卒業。2000年より国立台湾師範大学国語中心、国立北京語言大学人文学院へ留学。帰国後は中国語翻訳、会議通訳者。聞文堂LLC代表(ツイッターアカウント「 @taiwan_about 」)。台湾書籍を日本語で紹介するサイト「もっと台湾(http://www.motto-taiwan.com )」主宰。訳書に『台湾海峡一九四九』龍應台著(白水社)、『交換日記』張妙如、徐玫怡著(東洋出版)、『猫楽園』 猫夫人著(イースト・プレス)。『日本統治時代の台湾』陳柔縉著(PHP研究所)。俳人。