歴史は私たちを分断するけれど

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文=楠瀬啓之

 「お、今日はいい塩梅の客層だな」と演劇の製作者が僕の隣りに座って、上機嫌で(彼の関係する芝居ではなかったのに)呟いたことがあります。つまり、お客の年齢も性別も偏らずに、うまくバラけていて、しかも満席(これは重要)の状況を指す言葉のようでした。晩夏の一夕に行われたこのトークイベントがまさにそれで、西荻窪の名物書店「のまど」さんにびっしり並べられた60席ほどは実に「いい塩梅」で埋っていました。書くことの根幹に触れるテーマゆえか、客席には直木賞作家や女優兼エッセイストの方たちの顔もちらほら。すぐに予約が一杯になったので追加席も出た由。

後方から人いきれの中をするりと抜けて登壇したのは、今夜の司会・温又柔〔おんゆうじゅう〕さん、そしてゲストスピーカーの黒川創さん、陳芳明〔ちんほうめい〕さん、甘耀明〔かんようめい〕さんの4人。

P9059739温さんは幼時から東京に住み、5年前にすばる文学賞佳作を受賞して、日本語で創作活動を続ける台湾人作家。1980年生れ。

黒川さんはご存じの通り『暗殺者たち』『かもめの日』(共に新潮社)などで知られる(日本語で書く日本人の)作家ですが、『〈外地〉の日本語文学選1 南方・南洋/台湾』(新宿書房)の編者でもあります。61年生れ。

陳さんは国立政治大学台湾文学大学院初代院長であり、『台湾新文学史』(聯経出版社、邦訳予定あり)の著者。この本は、12年かけて完成した台湾文学研究の白眉にして金字塔という評判高い書物。47年生れ。

甘さんは客家人、台湾でいま最も注目される新世代小説家のリーダー格。72年生れ。

このイベントは「日本統治時代・台湾(18951945)を生きる、書く」との題下で行われましたが、まずは日治時代(「日拠時代」と、より批判的に呼ぶ人もいます)に日本語で書いていた台湾人作家たちをめぐる話で始まりました。

口火を切ったのは、タフで闊達で話好きな老師といった風貌姿勢の(後で伺うと痛風の発作で苦しんでいたというのですが)陳さんで、アッという間にこの場の胴を取り、滔々また諄々と語って倦まぬ雄弁ぶり。きっと、この先生の授業は面白いだろうなあ。

陳老師はご自分の略歴を絡めながら、日本統治下とそれ以後の台湾について巨視的かつ具体的に語っていきます。

学生時代には宋代(9601279)の文学について学んでいたので、ある時まで台湾文学も台湾史もよく知らずにいた。すべてのきっかけは、71年の中華民国/台湾の国連脱退であり、翌72年の日中国交回復および上海コミュニケ(ニクソン米大統領の電撃的な中国訪問)だった。台湾に暮す我々は、この時「中国」を代表するのはもはや我々ではなくなったことを切実に知ってしまった。ここから自分たちのアンデンティティを真剣に考える旅が始まったのだ、と言うのです。

そして、彼は反体制運動に身を投じることになります。むろん、長く続いていた戒厳令下での反体制運動だから身の危険は承知の上です。そんなヒリヒリする政治活動と同時に、台湾人のアイデンティティを求める陳青年が熱を入れて取り組んだのは「郷土文学運動」でした。

これは75年にさる文芸雑誌で、頼和〔らいわ〕(18941943)という日本統治時代の作家(ただし漢語《白話文》で書いた)の作品と出会ったのがきっかけ。宋代の文学に慣れ親しんでいた若き陳さんは、奇妙に「日本っぽい」漢語で書く頼和の作風に最初は違和感を持ったのですが、再読して考えを改めたそうです。そして、

「私は心の底から悲しかった。こんな優れた作家がいることを30歳近くになるまで知らなかったなんて、と。私は宋の時代の中国をよく知っているくせに、生まれ育った台湾のことにはあまりにも無知だった。つくづく惨めな気持になりました。その時、もう宋の文化なんか勉強しても、私の人生の役には立たないと決めたんです」

この年、陳さんはシアトルへ留学、かの地の大学図書館で戦前戦後の台湾の新聞を読み漁り、二二八事件についてもそこで初めて詳細を知ることになります。79年に美麗島事件が起きて、反体制運動に対する弾圧がさらに強まる中、陳さんはロサンジェルスで反国民党系の雑誌「美麗島週報」に参加したためにブラックリストに載せられ、帰国できなくなりました。その一方で、台湾文学研究を続けていきます。

「頼和たちが統治時代文学の第一世代とすれば、楊逵〔ようき〕(19061985、日本語で書いた)たちが第二世代になります。楊逵の文章は美しく、かつ反体制作家の中でも一番ガッツがある。あるいは、やはり日本語で書いた呂赫若〔ろかくじゃく〕(19141951)も素晴らしい作家です。そして、彼らの作品を読むうちに、私たちの世代は彼らの世代より希望があるんだ、諦めちゃいけない、と思えるようになりました。歴史的な条件は人生の一部なのだから、これは仕方がない。好むと好まざるとに関わらず、私たちはみんな歴史の産物なんだ、あとは諦めないだけだ、と悟ったわけです」

1949年から続いた戒厳令は87年に解除され、96年には一党独裁の時代が終わります。この間、92年になって帰国が許された陳老師は早速、民進党の宣伝部長になりました。

「やっと帰国できた息子がまだそんな反政府運動をやっているというので、親父はかんかんに怒りましてね。98年になって、ようやく『君のやっていることが解った』と言われました。2000年に亡くなりましたが、死ぬ前に理解してもらえて本当に良かった。日本語の教育を受けた世代の父は、死ぬまで日本が好きでしたよ。呉念真〔ごねんしん〕の映画で『多桑(トウサン)』(94年)ってあったでしょう? あそこに出てくる父親みたいなひとでした」

陳老師は帰国後、『楊逵全集』の編集に加わり、台湾文学を若い台湾人たちに教えています。

「私が経験したような、自国の文化を知らずにいたことの『惨めさ』を彼らが味わう必要はありませんからね。80年代以降、台湾人のアンデンティティは強く逞しいものになったと思います。そして今年の『ひまわり学生運動』を経て、さらに成熟したとも感じています。若い人で――少なくとも私の周りの若い人で――『自分は中国人だ』と言う人を見たことがありません。みんな、当然のこととして、『自分たちは台湾人だ』と自認しているのです」

ひとりの男の半生を語ることが、そのまま一国の生々しい現代史になり政治史になり文学史になることの、さあ何と呼ぶべきか難しいのですが、敢えて言えば「面白さと厄介さ」に観客は圧倒されつつ聞き入りました。聞き惚れた、と言いたいくらいです。

(続きます!)

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楠瀬啓之(くすのせひろゆき)

新潮社出版部副編集長。『週刊新潮』『小説新潮』を経て『yomyom』創刊に加わり、現在に至る。
これまで関わった本に川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』、城山三郎『そうか、もう君はいないのか』、太田光『マボロシの鳥』など。最新の担当本はリチャード・バック/五木寛之創訳『かもめのジョナサン完成版』AA・ミルン/阿川佐和子訳『ウィニー・ザ・プー』、佐藤優『いま生きる「資本論」』など。新潮社のサイトはこちら。新潮社出版部のツイッターアカウントはこちら