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台湾きってのイケメン監督の戴立忍(ダイ・リーレン)、彼は監督として活躍するだけでなく、俳優・脚本家・編集技師・レーサーなど様々な顔を持つ偉才です。小さい頃から大量の本を読み、本は“私の片方の翼”と形容するリーレンさんが語る台湾・中国書籍の世界をどうぞお楽しみ下さい。

取材・構成=西本有里、映画スチール写真提供:華聯國際

 

も:現代小説を読むようになったのはいつ頃ですか?

リ:やはり中学の頃からです。僕は1966年生まれなのですが、60年代・70年代の台湾はまだ戒厳令下にあり、出版物は規制されていました。特に僕は幼い頃台東で暮らしていましたから、あの頃台東で手に入るような本はすべて政府の許可を得た面白みのない堅苦しい書物ばかりでした。つまり現代小説に触れる機会がなかったのです。僕が暮らしていた成功鎮は小さな漁村で、高校も書店もない地域でした。ですから自宅にある本以外の小説というと、新聞で連載されている武俠小説のみで、毎日その連載を楽しみに読んでいました。

 

も:1987年は台湾で戒厳令が解除された年ですが、戒厳令前後でリーレンさんご自身は何か変化を感じましたか?

リ:解除の年、私は金門島で兵役についていました。金門島の戒厳令解除はかなり遅く、私が兵役を終えて出て来た時もまだ金門島では戒厳令が敷かれていました。私が兵役についていた時期、最前線と言える金門島はまだまだ強い緊張感に包まれており、兵士だけでなく、金門島の住民も確か夜6時以降は外出を禁止されていたと思います。あの当時、金門島には10万人の軍人が駐屯していたのですよ、今じゃ数千人ですが…。

私は1988年に金門での兵役を終え、台北に来ましたが、特別な変化を感じる事はありませんでした。新聞を読んで戒厳令が解除された事は知っていましたけれど、解除前から党外運動1 は非常に激しくなっていましたし、社会全体の雰囲気がすでに変化していました。政府も戒厳令を解除せざるを得なくなったのです。政府は永遠に人民の先を行く事はありません、人民の声に押されてやっと動くのが政府です。戒厳令解除の社会状態を喩えるなら、20年近く一緒に暮らして来た男女が「じゃあ今日結婚届に判をおして入籍しようか」、といって結婚の手続きをとったようなものと言えるのではないでしょうか。台湾は戒厳令解除に至るまで、非常に長い期間を費やしましたね。

中学の頃、美麗島事件2 が高雄で起きましたが、あの日僕はバスに乗っていて、今日は路線が変わって変だな…と思っていたら、遠くの方にたくさんの人々が集まっている情景が見えました、後からそれが美麗島事件の現場だったと知りました。

そして大学時代には三月学運(中国語名:野百合運動)3 がありました、私も学校が終わると座り込みに参加しました。

 

も:金門での兵役を終えた後、高雄を離れて國立台北藝術学院へ進学する訳ですが、いつ頃から映画に興味を持ち始めたのですか?

リ:私は小さい頃から本を読む事以外に映画を見るのが大好きで、小学三年生から映画館に通い、お小遣いはすべて映画につぎ込んでいました。母は夜の7、8時になっても私が家に戻らないと、必ず映画館に来て私を捜しました。当時の映画館では「○○、外で誰々があなたを探しています。」とスクリーン横のプラスチック板に文字を写し、劇場内にいる人に外部の情報を伝える事が出来ましたので、私を探していると母の言伝が、そこによく映し出されました(笑)。

あの頃高雄ではアートフィルムが公開される事はなく、商業的な映画ばかりでしたが、旧正月の休暇中に新聞の映画欄に掲載されている映画をすべて、ピンク映画も含めて3日間で見終わる勢いで見ていました。

映画には検閲がありますから、ピンク映画だけではなく一般の映画も上映中にカットされた画面が出て来る事も多かったです。映画館によっては検閲でカットされた箇所を切らずに上映している映画館もあり、巡回に来た警察官に見つかると、ひどい時は一週間の営業停止を科せられる映画館もありました。当時公開されていた映画はアメリカやヨーロッパ映画が大多数で、確かイタリアのセクシー女優エドウィジュ・フェネシュ(Edwige Fenech、中国語名:愛雲芬芝)が大人気だった事を覚えています。私と同じ年代の男性なら全員が知っている女優の一人です。DSP_3768

話しを戻しますが、私はいわゆる“文青”(文芸青年の略、文化芸術を愛する若者のこと)でしたから、中学の頃から詩や小説を書き始めました。兄が中学で詩の創作クラブを設立しており、5~6人の文学青年達と集まって、創作活動に勤しみつつ、映画館に通い詰めていました。映画を撮りたいという明確な目標を持つようになったのは高校二年生の頃です。親友と俺たちの物語を今後絶対に映画化するぞ!と熱く語り合っていた事を懐かしく思い出します。もちろん小学校から映画館へ通い詰める映画狂でしたから、映画の仕事を目指そうという気持ちは小学生の頃からあったと言えるかもしれません。
(続きます!)

戴立忍(ダイ・リーレン) 1966年7月27日、台湾台東県生まれ。
国立台北藝術大学を卒業後、テレビドラマ「冬陽」で俳優デビュー。その後様々な作品に出演を重ねる。代表作に「月光」、「停車」、「ザ・ホスピタル(原題:白色巨塔〜The Hospital〜)」などがある。2009年に発表した「あなたなしでは生きていけない(原題:不能沒有你)」において監督、脚本、編集を担当し、台湾だけでなく各国の映画祭で賞を獲得した。
俳優としての最新作は、現在台湾で公開中の映画「寒蟬效應」。

  1. 国民党一党独裁体制時に「独裁反対・民主自由化の実現」を目標に活動していた政治組織運動。  []
  2. 197912月、世界人権デーに台湾高雄市で行われた雑誌『美麗島』(“美麗島”はポルトガル語のフォルモサに由来する台湾の異称)主催のデモが、警官と衝突し、主催者らが投獄されるなどの弾圧に遭った事件。台湾の民主化に大きな影響を与え、今日の議会制民主主義や台湾本土化へと繋がった。また前総統陳水扁も、逮捕者の弁護団に参加している。 []
  3. 1990316日に発生し322日に終結した台湾の学生運動。この運動には全国の大学生約6,000名が参加し、中正記念堂広場に座り込みを行い、「国民大会解散」、「臨時条款廃止」、「国是会議開催」、「政治経済改革のタイムテーブル提出」を訴えた。この学生運動は中華民国政府の台湾移転後最大の学生運動であったばかりでなく、同時に台湾の民主化にも大きな影響を与えた。当時総統であった李登輝は学生側の要求を受け入れ、国是会議を開催。1991年には臨時条款を解除、その後「万年国会」の改革に着手し、台湾民主化における重要な転換点を生み出した。 []