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霧社事件の衝撃(1)

文=黒羽夏彦

19301027日、台湾の山間部にある町・霧社に近隣の子供たちが集まって運動会が開かれていた。家族もみんな見物に来て、役所のお偉いさんまで姿を見せる年に一度の盛大な行事。ところが、開会式で「君が代」の演奏が始まるや否や、あたりは叫喚の渦に一変する。セデック族の頭目、モーナ・ルダオ率いる約300人が会場に乱入、集まっていた日本人を手当たり次第に殺害し、首をはねていったのである。犠牲者は約140人に及ぶ(日本人と間違われた台湾人2人を含む)。

台湾における日本の植民地支配が安定しつつあると思われていた時期、しかも霧社は原住民族統治の模範地域とされていただけに、日本側の受けた衝撃は大きかった1 。台湾総督府はただちに警官隊や軍隊を動員して反撃に出たが、山地を駆け回るセデック族の戦士たちは神出鬼没、ゲリラ戦では彼らの方が圧倒的に強い。攻めあぐねた日本軍は大量の近代兵器を投入(毒ガスが使われたと指摘する人もいる)、さらに蜂起に加わらなかった別の部族も動員し、12月までにはほぼ鎮圧した。蜂起したセデック族の多くが戦死したばかりか、残された家族も山中に入って自殺した。いわゆる霧社事件である。

日本軍の圧倒的な戦力を前にして勝ち目のないことは最初から分かっていた。それにもかかわらず、なぜ彼らは日本人襲撃を決意したのか? 建設工事の木材運びなど苦役の大きな負担、日本人からの蔑視、伝統的な生活様式の喪失、領台以来の日本軍による平定作戦で親族や仲間が殺害されていたこと──様々に鬱積していた不満は抑えきれない水準に達していた。日本化を強制されて自分たちの尊厳が否定される中、どうにもならない絶望感が彼らを反抗へと駆り立てていた。

台湾で次々とヒット映画を生み出している魏徳聖〔ウェイ・ダーション〕監督の「セデック・バレ」(2011年)を観てこの霧社事件について知ったという人も多いかもしれない。もちろん商業用劇映画だからストーリーを盛り上げるためかなり脚色されているが、セデック族自身の世界観をできるだけ描き込もうとしている点はこの映画の特色と言えるだろう。

魏徳聖監督が霧社事件に関心を持つきっかけとなったのは一冊の漫画本。これは邱若龍〔チョウ・ロウロン〕(江淑秀・柳本通彦訳)『霧社事件──台湾先住民(タイヤル族)、日本軍への魂の闘い』(現代書館、1993年)として邦訳されている(なお、副題にタイヤル族とあるのは、かつてセデック族はタイヤル族の支族とみなされていたからである)。

霧社事件の概要を知るには、鄧相揚〔とうそうよう〕(下村作次郎・魚住悦子訳)『抗日霧社事件の歴史──日本人の大量殺害はなぜ、おこったか』(日本機関紙出版センター、2000年)から手に取るといいだろう。著者の鄧相揚は霧社に近い埔里の出身。郷里の病院に勤務していたときセデック族の人々と交流するようになったことから霧社事件について調べ始めた在野の研究者である。

戴國煇〔たいこくき〕編著『台湾霧社蜂起事件──研究と資料』(社会思想社、1981年)は霧社事件をめぐる諸相を主に社会科学的な観点から捉えようとした共同研究。少々古い本ではあるが、学問的な分析としては本書が出発点となる。春山明哲『近代日本と台湾──霧社事件・植民地統治政策の研究』(藤原書店、2008年)も合わせて参照したい2。(続きます!)

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OLYMPUS DIGITAL CAMERA黒羽夏彦(くろはなつひこ) 台湾専門ブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」、書評ブログ「ものろぎや・そりてえる」を運営。1974年生まれ。出版社勤務を経て、2014年3月より台南の国立成功大学文学院華語中心へ留学。東アジアの近現代に交錯したさまざまな人物群像に関心を持ち、台湾に視点を置いて見つめ直したいと考えている。

 

  1. 日本語では「原住民族」ではなく「先住民族」と表記するのが通例であろうが、台湾では「原住民族」という表現が用いられているため、これに従った。 []
  2. なお、『日本台湾学会報』第1220105月)で「台湾原住民族にとっての霧社事件」という特集が組まれており、これはネット上でも読める。 []