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「サヨンの鐘」と高砂義勇隊

文=黒羽夏彦

 

今年亡くなった李香蘭〔りこうらん〕の生涯は東アジア現代史のある一側面を体現しているかのように波瀾に富んでいる。彼女は1943年に公開された映画「サヨンの鐘」に主演するため台湾にも足跡を残していた。

李香蘭が扮したのはタイヤル族の少女サヨン。出征する日本人の恩師のため大雨の中を見送りに行く途中、足を滑らせて濁流に飲み込まれてしまった。この「美談」を知った当時の台湾総督・長谷川清は遺族に鐘を贈呈。脚色されて映画にもなった。だが、実際には戦意高揚映画として失敗してしまっていたことについては下村作次郎「物語の終焉──映画と教科書の『サヨンの鐘』」(山本春樹、黄智慧、パスヤ・ポイツォヌ、下村作次郎編『台湾原住民族の現在』草風館、2004年)が論じている。また、早乙女勝元編『台湾からの手紙──霧社事件・サヨンの旅から』(草の根出版会、1996年)はサヨンの遺族に会ってこの「美談」の背景を聞き出している。

「サヨンの鐘」のロケ地となったのは台湾の山間部、霧社の近くにあった桜社という部落である。霧社事件で蜂起したセデック族の部落の一つで、自殺した花岡一郎、花岡二郎はここの生まれであった(前回「霧社事件の衝撃(2)」を参照)。事件後、生き残った人々はすべてここから強制退去させられ、日本軍に味方した別の部落の人々が移り住んでいた。

映画「サヨンの鐘」には高砂義勇隊も登場する。戦局も押し詰まり兵員不足に悩まされた日本軍は、とりわけ南方のジャングルでの戦闘に役立つと考えて台湾原住民族に注目した。正規兵ではないため、あくまでも「義勇隊」である。戦後約30年も経ってインドネシアのモロタイ島から生還した中村輝夫(アミ族としての本来の名前はスニヨン)も高砂義勇隊であり、彼の生還を取っ掛かりとして高砂義勇隊について多くの著作が発表された。鈴木明『高砂族に捧げる』(中公文庫、1980年)は先駆的な作品であり、他に佐藤愛子『スニヨンの一生』(文春文庫、1987年)、河崎眞澄『還ってきた台湾人日本兵』(文春新書、2003年)などがある。

柳本通彦『台湾・霧社に生きる』(現代書館、1996年)の第三章「棄民の里の皇軍兵士」や林えいだい編著『証言 台湾高砂義勇隊』(草風館、1998年)などを見ると、霧社事件の生き残りの村から20数名の若者が血書してまで志願したという話が出てくる。志願することで霧社事件によって被せられた「国賊」という汚名を晴らし、ようやく日本人と対等になれるという気持ちがあったようだ。霧社事件後の精神的空白に「皇民化運動」を通して注ぎ込まれた教育効果の大きさに驚く。

こうした生真面目な気性の台湾原住民族に対して日本側の仕打ちはどうであったか。補償や給与未払い等の問題がいまだに解決していないことについては柳本通彦『ノンフィクションの現場を歩く──台湾原住民族と日本』(かわさき市民アカデミー出版部、2006年)を参照されたい。また、柳本通彦『台湾先住民・山の女たちの「聖戦」』(現代書館、2000年)、『台湾・タロコ峡谷の閃光──とある先住民夫婦の太平洋戦争』(現代書館、2001年)には、夫が高砂義勇隊として出征しているまさにそのとき、騙されて日本兵の夜の相手となるよう強制されたという女性たちの証言がある。

台湾原住民を徴用したのは日本軍だけではない。龍應台(天野健太郎訳)『台湾海峡 一九四九』(白水社、2012年)を見ると、戦後の国共内戦時、国民党によって大陸の戦線へ送られたプユマ族の男性が、捕虜となった後に共産党軍へ編入され、さらに朝鮮戦争にまで従軍したという話が出てくる。

マイノリティーであるがゆえに歴史に翻弄されてきた台湾原住民族。彼らが自らの権利を求めて声を上げ始めたのはようやく20世紀も後半になってからのことである。

 

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OLYMPUS DIGITAL CAMERA黒羽夏彦(くろはなつひこ) 台湾専門ブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」、書評ブログ「ものろぎや・そりてえる」を運営。1974年生まれ。出版社勤務を経て、2014年3月より台南の国立成功大学文学院華語中心へ留学。東アジアの近現代に交錯したさまざまな人物群像に関心を持ち、台湾に視点を置いて見つめ直したいと考えている。