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台湾のことを日本に伝えるには、背景知識が必要です。
この連載では、ジャーナリスト・野嶋剛さんお薦めの作品を
ご紹介いただきます。

徐璐『私的台東夢』(天下雑誌、2014年)

文=野嶋剛

以前、この欄で「台南ブーム」について魚夫という作家が書いた『移民台南』『樂居台南』(いずれも天下雑誌)という二冊を紹介したことがあった。最近、台南ブームはすでにピークに達した、と感じる。では、「南」の次に来るのはどこだろうか。これは断言させてもらうが、「東」、つまり台東である。

台東ブームがいつか本物になったとき、その火付け役として、魚夫の本と同じように位置づけられるに違いない一冊をちょっと先取りして紹介したい。それが今年夏に出版された徐璐〔じょろ〕『私的台東夢(邦訳:私の台東の夢)』(天下雑誌、2014年)である。徐璐〔じょろ〕『私的台東夢(邦訳:私の台東の夢)』(天下雑誌、2014年)

台東は、台北の対極にある場所だ。

距離が遠い、というだけではない。「繁栄」「都会」「中心」「競争」「政治」「マネーゲーム」「荒んだ心」。そんな台北が意味する概念と台東は最も遠いところにある。だからだろう、台湾の映画や文学で、台北に疲れた人々が、台東に行くことで癒しを得るという行動パターンが散見される。
例えば、最近、台湾で上映された映画に「寒蟬效應(英題:sex appeal)」という作品があった。台北で学生運動に関わった精神的高揚から抜けきれず、日常生活をうまく送れなくなった大学教授が、妻の勧めによって台東の大学に移って再起を期そうとするというストーリー設定だった。

また、2007年の映画「最遙遠的距離(邦題:遠い道のり)」は、台北で失恋した男が台北にいる昔の恋人に向けて、台湾各地で取りためた「音」を送り続ける映画なのだが、音の多くは台東の海や山で採集したものだった。ここにも「台北の挫折」→「台東での癒し」という構図を見ることができる。

台東は、台湾のほかのどの土地にもない魅力を持っている。しかし、台東の良さは、その県都である台東市では、たぶんほとんど感じることができず、足を伸ばす必要がある。
台東の行政区画の最北端にあたる花蓮との境界から、太平洋を左に、台湾山脈を右にみながらひたすら最南端の屏東との県境まで一気に「台9線」という幹線道路をひたすら南下すれば、きっと多くの人が台東の魅力の虜にされてしまうに違いない。

私が親しくしていただいている聯経出版の発行人・林載爵氏は、台東に家を持ち、週末になると、台北と台東を結ぶ台湾鉄道の特急プユマ号に乗って台北・台東間を往復する生活を送っている。そういう人は増えているはずだ。
そんな台湾人の台東への「逃亡願望」が高まるなか、実行に移した著名人の女性が書いたのが本書「我的台東夢」である。
作者の徐璐は、台湾を代表する「女強人(優秀かつ気の強い女性のこと)と呼ばれる知識人だ。淡江大学英文科を卒業し、22歳で「大地生活」という反体制の雑誌を創刊。「新新聞」というニュース雑誌の編集長や「自立晩報」などのリベラルなメディアで民主化を求めて健筆をふるった。その名を全国区にしたのは、1987年に台湾メディアの中国大陸取材が解禁されたとき第一号の記者となったことだ。

その後もラジオ「台北之音」を立ち上げ、中華テレビの総経理、中華電信の基金会の理事長を歴任するなど、華々しいキャリアを重ねた。徐璐の名前を何より台湾社会に知らしめたのは1998年に発表した『暗夜倖存者(邦訳:暗い夜に生き残った者)』(平安文化)という一作だろう。この本で、彼女は自分が夜間自宅で闖入者に強姦された経験を明らかにした。その体験を6年間誰にも語れず、鬱病も患った。悲惨な体験に向き合うことでしか次の一歩に踏み出せないと執筆を決意したのだが、当時は、レイプ体験を公表する是非を含め、全台湾的な話題になった。

本書において、徐璐は、ほとんど力みなく、軽やかに台東の魅力を巧みに伝えている。台東の良さを書いた書物や記事は少なくないが、あまりに台北との対比を強調するあまり、台東へのひいきが目についてしまうが、徐璐はさすがに歴戦のジャーナリストらしく、自分自身の「魂の旅」に引きつけて、台東にどうしても惹かれていく理由を語っている。
現在は台東に居を構え、台北と往復を続けながら、台東での文化、教育の普及に取り組んでいる彼女は、自分を取り戻す事、自分の原点に戻ること、新しい自分の可能性を発見すること、それらが台東での生活によって可能になった、と書く。

徐璐は華視テレビを離れた後、「職場の女強人にも、女忙人(忙しく働く女性)にも二度となりたくなかった。生活をシンプルにしたいと考えた」。そして、テレビの司会者などの誘いがあっても「テレビのスタジオは私が私らしくはいられない場所」だとして断り、台東での生活に入っていくことを決意する。
徐璐が力を注いだのが、アートや音楽を自由に発信できる「鉄花村」という芸術村を台東に立ち上げることだった。自らが籍を置く「台湾好基金会」の協力を得て、音楽や美術に多くの才能を持っている原住民の若者たちに発表の場を提供している。鉄花村という「場」を育てながら、平日は台東で暮らし、週末には病気の母親の看病に台北に戻るという生活を送っている。いま、台湾には平日台北、週末台東という生活を送っている人は少なくないが、彼女のような逆パターンは珍しい。

それにしても台東は台湾のなかでもいろいろな意味で特別なところである。台東には原住民(先住民族)が多く暮らす。台東の人口の5分の1は原住民とされる。原住民は全人口でみれば50万人に過ぎないが、台東では有力な族群の一つだ。台東で高校まで教育を受けた友人の女性編集者は「台東では私たち漢族がマイノリティという気分だった」と話していた。

自然も素晴らしい。長濱の果てしなく続く海岸線、成功の取れ立てのカジキマグロのピンク色の刺身、緑島の政治犯収容所跡、紅葉の山の緑と温泉、鹿野の高台から見る雄大な景色、池上のグリーンに包まれた大地、太麻里で観た太平洋の夜明け、蘭嶼島のトビウオ、大武の鮮魚のスープ……。私にとっても、台東には、台湾で暮らしたなかでもなぜか記憶に強く刻まれたものが多い。

『私的台東夢』は具体的に徐璐が台東で何を成し遂げ、何が彼女の台東夢であるのかまでは書ききっていない。あくまでも夢の実現に向けた記録であり、これから本当の意味で徐璐は台東に夢を描いていくのだろう。もし本書を「台東本」ということで期待するのであれば裏切られることになる。

本書の中心はもっとも典型的な一人の台北の働く女性が、台北の対極にある台東の地に引きつけられ、台東での生活が自分の残された後半生の「夢」となっていく心の軌跡である。そんな徐璐の心を伝える本書は、多くの人たちをいっそう台東に引きつける感染力を発揮するに違いない。

(連載第6回は2月にお届け予定です)

バックナンバー
#1 ジャーナリストの薦める台湾ブックはこちら
#2 ジャーナリストの薦める台湾ブックはこちら
#3 ジャーナリストの薦める台湾ブックはこちら
#4 ジャーナリストの薦める台湾ブックはこちら

journalistPH野嶋剛(のじまつよし)
1968年生まれ。上智大学新聞学科卒業後、朝日新聞に入社。シンガポール支局長、政治部、台北支局長、朝日新聞中文網編集長などを経て、2014年4月からアエラ編集部。著書に『ふたつの故宮博物院』『謎の名画・清明上河図』『銀輪の巨人 GIANT』『ラスト・バタリオン 蔣介石と日本軍人たち』がある。