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蒋介石評価の難しさ(1)

文=黒羽夏彦

 

台湾北部の山間部にある慈湖。ここにはかつて蒋介石の別荘があり、その死後は遺体を安置する「慈湖陵寢」という墓苑となった。この地の山水は故郷である浙江省奉化市溪口鎮の風景を彷彿とさせるため、彼はここを選んだとも言われる。現在は両蒋(蒋介石・蒋経国父子の二人を指す)文化園区とされている一角に慈湖紀念雕塑公園があり、園内にはおびただしい数の蒋介石像が立ち並んでいる。あたかも分身の術を使っているかのような奇観は、見ようによっては現代アートを思わせる面白さすらあり、訪れた人の目に印象深く焼き付けられることだろう。

国共内戦に敗れた国民党政権は逃げ込んだ先の台湾で「大陸反攻」の機会を待ち続けるが、来台当初の失政がたたって台湾人の反感を買い、足元は必ずしも盤石ではなかった。戒厳令の時代、思想的に国民を統制する手段の一つとして蒋介石の個人崇拝が推し進められ、台湾各地のメインスポットには蒋介石像が建てられた。その後の民主化は脱蒋介石化を促し、蒋介石像は次々と撤去されることになる。行き場を失った銅像はどうなったか。捨てるわけにもいかず、慈湖紀念雕塑公園へ集められたわけである。

こうした経緯からもうかがわれるように、蒋介石評価は時代に応じて大きく変化している。また、彼は日本留学経験を持つ「知日派」であると同時に、日中戦争ではまさにその日本から目の敵にされた。いずれにせよ、台湾、中国、日本をめぐって錯綜する歴史的背景を読み解く上で蒋介石の存在はどうしても無視できないし、台湾史を特徴づける多面的な複雑さは彼をめぐっても立ち現われてくる。

蒋介石と日本との関わりを知るには、黄自進『蒋介石と日本──友と敵のはざまで』(武田ランダムハウスジャパン、2011年)から手に取ると良いだろう。政治外交史的な側面を中心としてバランスのとれた伝記である。他に保阪正康『蒋介石』(文春新書、1999年)や関榮次『蒋介石が愛した日本』(PHP新書、2011年)は一般書のスタイルで読みやすい。また、吉田荘人『蒋介石秘話』(かもがわ出版、2001年)は特務の責任者となった載笠〔たいりゅう〕、副総統になったが蒋介石とは決裂した李宗仁〔りそうじん〕、台湾省主席になったがアメリカへ亡命した呉国楨〔ごこくてい〕など周辺人物との関わりを通して蒋介石の負の側面を描き出している。

中国大陸における蒋介石をめぐっては、国民党はなぜ共産党に敗れたのかという問題が大きな論点となる。野村浩一『蒋介石と毛沢東──世界戦争のなかの革命』(岩波書店、1997年)では、三民主義1 に基づいて中国近代化を目指しつつも旧来的な政治文化を克服できなかった点に注目される。家近亮子『蒋介石と南京国民政府』(慶応義塾大学出版会、2002年)では蒋介石の権力基盤が強固ではなかった様子が分析されているが、他方で国家建設に必要な条件は南京国民政権期にすでに準備されており、それは共産党政権に引き継がれた点で政治的継続性のあることが指摘される。蒋介石が近代的国民の創出を図って発動した「新生活運動」の政治的構造や理念については段瑞聡『蒋介石と新生活運動』(慶応義塾大学出版会、2005年)で分析されている。

 (続きます!)

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OLYMPUS DIGITAL CAMERA黒羽夏彦(くろはなつひこ) 台湾専門ブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」、書評ブログ「ものろぎや・そりてえる」を運営。1974年生まれ。出版社勤務を経て、2014年3月より台南の国立成功大学文学院華語中心へ留学。東アジアの近現代に交錯したさまざまな人物群像に関心を持ち、台湾に視点を置いて見つめ直したいと考えている。

 

  1. 孫文が提唱した中国革命の指導原理で、民族主義・民権主義・民生主義の3つを合わせて三民主義という。 []