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キュートなルックス、温かい人柄で日本でもプー監督の愛称で親しまれている瞿友寧(チュウ・ヨウニン)監督。「イタズラなKiss〜惡作劇之吻〜」や「イタズラな恋愛白書~In Time With You~」等、アイドルドラマを撮らせたらこの人の右に出る者はいないと言われる彼にご自身の読書遍歴を詳しく語っていただきました。

取材・構成=西本有里、撮影:聞文堂

:監督が特に好きな作家もしくは詩人を教えていただけますか。

:楊牧そして夏宇 1 です。楊牧の詩は私に楊徳昌〔エドワード・ヤン〕監督を思い起こさせます。簡潔な言葉で広大なイマジネーションの翼を広げさせてくれます。一番好きな詩人です。鄭愁予は侯孝賢〔ホウ・シャオシェン〕監督に似ているかな、率直で叙情的、そして文学的です。

瞿友寧_2

私は新人の役者に演技指導を行う時に、よく楊牧の詩集を持って行き、彼らに詩集を読むよう言います。詩を読ませる事で彼らに韻を踏む事の美しさ、リズムを理解するよう仕向けます。また詩を理解出来れば、脚本を理解するのは簡単になります。詩は台詞のように直接的な表現がありません、しかし詩には感情が込められています。詩の感情をよみとる事で、台詞に感情を込めてもらいたいと思っているのです。ですから詩集は演技のレッスンをする上でとても大切なツールとなっています。

また最近は中国の純文学作家も好きです。寒韓 2 はいいですよ。彼は以前『獨唱團3 という雑誌を編集して出版しました。私はその第一号を購入して読んだのですが、素晴らしい内容です。様々な分野の有名人がそれぞれ心に秘めた物語をエッセイとして書き下ろしており、有名なカメラマンの撮り下し作品もたくさん掲載されています。表紙を懐かしいクラフト紙で印刷しており、とても雰囲気のある雑誌です。

しかし寒韓の立ち位置や発言には政府と対立する部分があり、その後この雑誌は続けて発行する事が許されなかったようです。寒韓の作品では彼の初期の作品が好きですね。映画も文学もそうですが、私は初期の作品を好む傾向があります。監督にしても作家にしても初期の頃が最も純粋なものを持っていると思うからです。彼らが最も書きたかった内容がその作家の本質を表していると思うからです。

:監督は日本の少女漫画を改編したアイドルドラマをたくさん撮られていますが、原作漫画はお読みになられていますか?

:もちろんすべて読んでいます、原作本は絶対に読まなければいけません。改編をする際、必ず守っている事は、原作本が伝えたい核心の思想を取り入れ、ドラマに生かす事です。

「薔薇之恋(薔薇のために)」 4 を撮影した時、面白い事がありました。このドラマを撮る事になった経緯は、私が公共テレビの人生劇展(公共電視テレビ局のドラマ枠名)金鐘(台湾版エミー賞と言われるドラマ賞)を受賞した事に端を発しています。そのドラマは評判がとても良く、5つの賞を受賞したのです。

それからすぐ、あるプロデューサーからアイドルドラマを撮ってみないかと声をかけられたのです。その当時私はアイドルドラマを撮るつもりは全くありませんでした、ずっと映画を撮りたいと思っていたからです。そのオファーを断ると、彼は「そんな風にすぐ否定するのはやめて欲しい。君は自分が撮りたい物語を撮りたいと思っているのは分かるが、この漫画を持って返ってまず読んでから決めてくれ。」というのです。

でも考えても見て下さい、私は男です(笑)。私は小さい頃からずっと日本の漫画を読んで育った世代ですが、読んできたのは少年漫画や伊藤潤二の漫画でした。日本漫画は大好きでしたが、こんないい歳の大人が少女漫画ってどうなの?と思った訳ですが、読み始めたら面白くて止まらない。3日間で16巻すべてを読み切ってしまいました。

この漫画はラブストーリーのみに留まらず、親子の愛情や人生の道理がたくさん描かれています。素晴らしい漫画だと思い、プロデューサーに仕事を受けると返事をしました。自分自身がこれほど感動した物語ですから、ドラマにする事で更に多くの観客にこの感動を伝えられると思ったのです。そして、少女漫画に対する認識は完全に間違っていた、申し訳ない!と思いました(笑)。そして「薔薇之恋(薔薇のために)」を撮るにあたり、私自身がインスパイアされた家族の温かみを演出しようと決めたのです。

あのドラマで観客から一番反響があったのは、家族の物語の部分でした。ちょうどあの時期台湾ではSARS5 が流行しており、家族の絆や生活を改めて見直す気運が高まっていました。

このドラマのサイン会は放送スタートより2ヶ月後に台視テレビ局前で行われたのですが、なんと7,000人が詰めかけたのです。これは台視テレビ局創立以来、最大のサイン会になりました。私はその日、台視テレビ局で編集をしており、朝6時頃会場の状況を見てみようと外に出たのですが、すでにすごい人数のファンが集まっていました。

私が歩いていると、一組の母娘が駆け寄って来て、「監督ですか?私たちはあなたのドラマの大ファンです。」と私に声をかけました。そして彼らは彼ら親子に起こった物語を聞かせてくれたのです。

ちょうどその頃娘さんは反抗期で、半年間ぐらいお母さんと一切話をしない状況が続いていたそうです。ある日、お母さんがリビングで「薔薇之恋(薔薇のために)」を見ていて、あるシーンで大笑いをした時、娘さんの部屋からも同時に大きな笑い声が聞こえて来たそうです。お母さんは娘さんの部屋まで行き、何大笑いしているの?と声をかけると、なんと娘さんも「薔薇之恋(薔薇のために)」を見ており、同じシーンで大笑いした訳です。

娘さんはお母さんが同じドラマを見ている事を知ると、部屋から出て来てリビングで一緒に見始め、そして予告編が流れ始める頃には、二人は「来週はどうなるんだろうね、漫画を買って読もうか?」などとドラマについて熱く語り合うようになっていたそうです。この母娘はこのドラマによって会話のきっかけをつかみ、仲を取り戻したのです。その後二人は一緒に鄭元暢(ジョセフ・チェン)の追っかけを始めたそうですよ。

この親子だけではなく、私は多くの人から「薔薇之恋(薔薇のために)」を見て親子の関係を修復したとの話を聞きました。良いドラマが与える影響力というのは色々な意味で大きく、あのドラマ面白かったね、という表面的な評価だけでは終わらず、実生活の人間関係にまで影響を及ぼす事が出来る事を実感出来た作品になりました。このドラマで得た結果が私に次のドラマ作品に向かう原動力を与えてくれたのです。

アイドルドラマに関していえば、一作以外は私自身が原作をとても気に入って撮った作品ばかりです。これは重要な事で、自身が共感出来る作品でないとその作品の持つ良さを伝える事は難しいと思います。

私の最新作は「你照亮我星球 (You Light Up My Star)」 ((20146月より台湾で放送された鄭元暢〔ジョセフ・チェン〕、張鈞甯〔チャン・チュンニン〕主演の芸能界を舞台にしたアイドルドラマ。福山雅治が本人役で特別出演している事でも話題となった。全20話。)) ですが、今日はドラマの写真集を持ってきました。ドラマの版権はアミューズが購入していますが、日本でいつから放送が始まるかはまだ聞いていません。日本での放送が始まった際には是非皆さん見て下さいね。

(続きます!)

瞿友寧(チュウ・ヨウニン)
1970年1月8日、台湾台中生まれの監督、脚本家。公共テレビ局のドラマ監督として活躍し、2003年に初めて撮ったアイドルドラマ「薔薇のために(中国語名:薔薇之恋)」が大ヒット。その後立て続けに「イタズラなKiss〜惡作劇之吻〜(中国語名:惡作劇之吻)」や「桃花タイフーン!!(中国語名:桃花小妹)」などヒットドラマを監督し、2011年には中華圏で空前の大ブームを引き起こした「イタズラな恋愛白書~In Time With You~(中国語名:我可能不會愛你)」を監督。最新作は「你照亮我星球You Light Up My Star」。映画監督作に「假面超人(台湾の暇人)」、「親愛的奶奶To My Dear Granny」等がある。

  1. 夏宇〔かう〕。19561218日生まれの台湾人作家、詩人、作詞家。19歳より詩を書き始め、1984年に『備忘録』を自費出版して大きな注目を集める。その他の作品に『腹語術』、『Salsa』等がある。蘇打綠〔ソーダグリーン〕や蕭敬騰〔シャオ・ジンタン〕など有名歌手の作詩も手がけている。 []
  2. 寒韓〔かんかん〕。1982923日、上海市生まれの作家。デビュー作の『三重門(上海ビート)』は203万部のベストセラーとなり、中国で“韓寒現象”なる言葉を生み出した。雑誌編集者、プロレーサー、歌手、ブロガーとしても活動し、2014年には『後會無期(今後いつ会えるか分からない)』で監督デビュー []
  3. 寒韓が編集した雑誌、なかなか雑誌刊行番号が下りず、201076日に仕方なく書籍番号を使って発行を決行。出版当日だけで10万冊を売り上げる大ヒットとなった。第二号の出版がなかなか決まらず、最終的には第一号の発刊のみで編集チームが解散する事になった。 []
  4. 吉村明美による少女漫画作品。1994年、小学館漫画賞を受賞。台湾電視テレビ局でドラマ化された「薔薇之恋」の原作。ドラマ「薔薇之恋」は20035月より台湾で放送され、2004年、金鐘奨(台湾版エミー賞)の最受歓迎戯劇賞(最も視聴者に愛された作品賞)を受賞した。全24話。 []
  5. 重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome; SARS(サーズ))は、SARS コロナウィルスにより引き起こされる感染症。200211月に中華人民共和国広東省で発生し、20037月に制圧宣言が出されるまでの間に8,069人が感染し、775人が死亡した。 []