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報道とは何事かを知らせる筋道のこと。
台湾のことを日本に伝えるには、背景知識が必要です。
この連載では、ジャーナリスト・野嶋剛さんお薦めの作品を
ご紹介いただきます。

韓良露『台北回味』(有鹿文化、2014年)

文=野嶋剛

台湾はうまいもの天国である。それは誰もが認める。台湾のガイドブックはおいしい料理、おいしいスイーツ、おいしいお店で埋め尽くされている。日本から台北に向かうフライトでも、乗っている人々が夢中になって眺めているのは、たいていはガイドブックのなかのグルメコーナーである。

しかし、どんなガイドブックを読んでも、どうして台湾に美味しいものが多いのか、という問題について教えてくれる本にはなかなか出会えない。台湾人がグルメだから、とか、台湾の豊かな物産のおかげ、とか、そんな根拠の不確かな印象論ではなく、台湾でこれほど豊かな食文化が育まれた理由を知りたいのだが、なかなかこのことを論理的に説明する文章に出会うことは、台湾の本でもほとんどない。あるいは、台湾の人にとっては、すでに目の前に昔から存在する当たり前すぎのことだからなのかも知れない。
韓良露〔かんりょうろ〕『台北回味』(有鹿文化)
そんな私のかねてからのフラストレーションをさっぱりと晴らしてくれたのが、昨年6月に出版された韓良露〔かんりょうろ〕『台北回味』(有鹿文化)だった。台湾の美食エッセイでは、これまでは詩人であり美食作家でもある焦桐〔しょうとう〕の『臺灣飲食文選』(二魚文化、2003年)や『台灣味道』(二魚文化、2011年)あたりが圧倒的に出色であると思っていたが、本書の面白さもまったく引けを取らない。

韓良露は、美食家、旅行家、作家などの顔を持つマルチ女性作家である。もともとは現代詩の詩人としてデビューしたが、映画の脚本なども手がけ、星占いの名人でもあり、マルチな文筆活動で知られ、美食エッセイも人気を集めている。

この本のなかで、台北の食について考えるとき、「私は何者か」と考えることに等しいと、韓良露は言う。

台湾には、日本統治時代があり、その後、国民政府が台湾に移転し、戒厳令が敷かれ、民主化してグローバリゼーションに直面した。こうした「大きな歴史」の変遷が、台北人の社会生活にそのつど変化をもたらし、時代の痕跡が、飲食文化を観察することで理解できるのではないか、と問いかける。

台湾の歴史と飲食を結びつけるスタンスは、韓良露の生い立ちと関係しているようである。韓良露は台北北部の北投という土地で育った。そこには複雑な飲食環境が備わっていた。北投はもともと先住民族のケタガラン族の集落と、明清時代に移民してきた漢人の集落が併存していた場所だった。日本統治時代に日本人が温泉郷をつくり、1945年以後は大陸から国民政府と一緒に台湾へ渡ってきた外省人の軍人や公務員の居住施設が集中したので、多様な飲食文化が重層的に形成されたというのである。

韓良露の父は外省人で「生涯、日本には行かないし、日本料理も食べない」というほどの日本嫌いだった。父親は、外省人の味である「陽春麺(具なし麺)」「麻醤麺(ごまだれ麺)」「滷味(内臓などの煮込み)」を好み、近くにある江浙(江蘇省・浙江省)料理の「上海飯館」や平津(北京・天津)料理の「新生園」によく連れて行かれた。一方、父が嫌った日本料理は、本省人である母の家族にとっては慣れ親しんだ味だった。特に祖母は日本教育をまるまる受けた世代であり、北投の温泉旅館に韓良露をしばしば連れて行き、「台湾化した日本料理」をいつも食べさせられていたが、父が好きな餃子のお店「周胖子餃子」の餃子を祖母は口にしようとしなかったという。

また、母方の祖母や祖父などの誕生日をお祝いするときはきまって台湾料理がテーブルに載るのだが、父親がなぜか外に出てタバコを吸う時間が長くなることを不思議に思っていた。父にとっては台湾料理が口に合わないためにやっていることだと分かったのは大人になってからだった。

そんな韓良露は「台湾料理(台菜)」は「混合料理」だと記す。

「台湾料理は閩南(福建南部)料理に源を発し、スープや野菜が多く、酸味、甘み、薄味を特徴として、沙茶(サテソース)や蝦油(エビの油)、紅糟(紅麹)などを多用する。その後、日本統治の50年によって、日本料理の影響が及んだ。例えば、鰻の蒲焼き、刺身、茶碗蒸しなども台湾料理の宴会にはよく出てくる料理になった」

いろいろ、私にとっては目から鱗の知識も教えてくれる。例えば、いまの台北の味の基本になっているのが、戦後、「円環」の重慶北路と南京西路の交差点のところにできた「蓬莱閣酒家」というレストランだった。大陸の名シェフで、かつて孫文おつきの料理人だったという杜子剣を招き、店の料理を「閩式(福建式)」「式(広東式)」「川式(四川式)」の三つに分類した。ここで働くシェフたちは、三種類の料理を必ずマスターしなくてはならなかったという。自然と、彼らが独立したあとは、「式」「川式」の混ざった台湾料理を各地の店で出すようになり、混合料理が台湾料理のスタンダードになったのだという。「青葉」や「梅子」など、こてこての台湾料理のお店に入っても、なぜかメニューに四川っぽい料理が載っていることがあるのはそういうわけだったのかと合点がいった。

けっこう辛口なところもあり、すっかり観光地化して味が劣化してしまった士林夜市については、一刀両断に「行く価値なし」と切り捨てる。一方で、涼州街という場所の美食について、「独自の味を守っている店が多い」と彼女の評価は高い。これは私もまったく同感で、いま台北でいちばん美味しい屋台料理が食べられる場所は涼州街だと思っている。

その理由については「ここはもともと茶葉の交易中心で、味にうるさい人があつまった」としつつ、「外国の友人をいつも連れていきたい場所」とする。

韓良露が涼州街で特に勧めているのは「原汁排骨湯(スペアリブスープ)」「煙薰鯊魚(サメの燻製)」「燙魷魚(湯がきイカ)」などで、どれも食べたことがあるが、ここでしか食べられない味である。

台湾の食に興味のある方には、一読をおすすめしたい。ただでさえおいしい料理が、知識のスパイスが加わって、もっとおいしく感じられるようになるはずである。

(連載第7回は4月にお届け予定です)

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journalistPH野嶋剛(のじまつよし)
1968年生まれ。上智大学新聞学科卒業後、朝日新聞に入社。シンガポール支局長、政治部、台北支局長、朝日新聞中文網編集長などを経て、2014年4月からアエラ編集部。著書に『ふたつの故宮博物院』『謎の名画・清明上河図』『銀輪の巨人 GIANT』『ラスト・バタリオン 蔣介石と日本軍人たち』がある。