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台湾建築巡礼の旅

『王大閎―永恆的建築詩人』徐明松(木馬文化、2013年)

 文=天野健太郎

台湾でも伊東豊雄(台湾大学社会科学部)、安藤忠雄(亜洲大学安藤芸術館)など著名日本人建築家の建物がずいぶん増えた。書店でも彼らの本がたくさん翻訳されているし、日本へ巡礼の旅に出かける台湾人も非常に多い(とりわけ直島が……)。
台湾人の日本好きはとどまるところを知らないわけだが、実は台湾にも建築科学生が巡礼する「メッカ」があった――台湾モダニズム建築の権威・王大閎〔ワン・ダーホン〕の「建国南路自宅」である。

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本建築は、ケンブリッジ、ハーバードで建築を学んだ王(I・M・ペイと同級生である)が1953年に建てた処女作である。10年余り住んだが、その後人手にわたり、取り壊された。巡礼に耐えうる建築とはいったいどんなものだったか? 図面と模型、当時の写真でそれを説明してくれる最高のテキストを紐解こう。『王大閎―永恆的建築詩人』徐明松(木馬文化)である。

 
 
 

日本統治時代の瓦拭き宿舎に囲まれた四角い90坪の敷地に、相似形を描いてマッチ箱のようなコンクリート造平屋(30坪)が置かれている。まっ平らの陸屋根で、庭側の壁一面はくじらのヒゲのように規則的な掃出窓が並び、簡素ながら縦のラインが印象的だ。中に入れば建坪の6割を占めるような仕切りのない広々したリビング・ダイニングで、振り返ればそのまま窓越しに前庭と繋がる開放的な空間である。対照的に、奥の角にあるベッドルームはコンクリートで視線を阻まれ、そこに穿たれた中華様式の丸窓が、唯一全体のアクセントとなる。そんなあくまで箱としてのモダニズム建築だが、色合いは赤・黒・白となお中華風であった。

さて、我々も巡礼の旅に出かけよう。1964年築のマンション「虹盧(ホンルー)」は、現存しているのだ。新生南路から済南路を折れると、これ以上ない地味な通りにひときわくすんだコンクリートの壁が屹立する。道路側に窓がない。台湾のマンションとしては特異だ。ぶっきらぼうなまでの打ちっ放し感だが、近寄れば壁の質感にゾクゾクする。上から見ればH型となる壁の凹みに階段が配され、植木鉢など奥ゆかしい生活感がある。王大閎自身が住んだ1階は現在、おしゃれな高級レストラン「四知堂」が営業している(メニューは時価!)。建築当時はなかった正面右の通用口だけが残念だ。

ほかの現存作品をめくれば国父紀念館はともかくとして、東門基督長老教会がかなり独創的なフォルムで、一度は見ておきたくなる。建築に興味がある方は(日本統治時代建築以外にも)ぜひ台湾人が作った建築もウォッチングしてほしい。幸い最近のニュースでは、「建国南路自宅」が美術公園(MRT圓山駅)に再建されることが決まり、96歳のご本人も喜んでおられるそうである。

 

 

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プロフィール

天野健太郎(あまの けんたろう)
1971
年、愛知県生まれ三河人。京都府立大学文学部国中文専攻卒業。2000年より国立台湾師範大学国語中心、国立北京語言大学人文学院へ留学。帰国後は中国語翻訳、会議通訳者。聞文堂LLC代表(ツイッターアカウント「 @taiwan_about 」)。台湾書籍を日本語で紹介するサイト「もっと台湾(http://www.motto-taiwan.com )」主宰。訳書に『台湾海峡一九四九』龍應台著(白水社)、『交換日記』張妙如、徐玫怡著(東洋出版)、『猫楽園』 猫夫人著(イースト・プレス)。『日本統治時代の台湾』陳柔縉著(PHP研究所)。俳人。