王大閎―永遠の建築詩人

仮題:『王大閎―永遠の建築詩人』
原題:『王大閎:永恆的建築詩人』
著者:徐明松
出版社:木馬文化
仕様:カラー(部分)、横組、215ページ、2007年5月初版、2013年9月新装版刊行
カテゴリー:建築、建築史
リンク(博客來):http://www.books.com.tw/products/0010597045

読みどころ

文=天野健太郎

王大閎とは何者か

台湾にモダニズム建築の詩人がいた――王大閎(おうだいこう/ワン・ダーホン)
彼は1918年北京生まれ。蘇州に育ち、中国の伝統的な建築様式とその美しさを体に染み込ませた。その後ケンブリッジ大学、ハーバード大学で建築を学び、同級生にI・M・ペイ(貝聿銘)やフィリップ・ジョンソンなどのちにプリツカー賞を獲得する建築家がいた。王はここでバウハウス創立者のグロピウスより直接教えを受け、ミース・ファン・デル・ローエに私淑し、モダニズム建築の洗礼を受けた。

留学より帰国し、その後台湾へと移った王は35歳のとき(1953年)「大洪建築士事務所」を開業。その最初の作品が台湾建築界で「巡礼のメッカ」と謳われた「建国南路の自宅」である。外観は平らな箱を置いただけの、まさにミースの「より少ないことは、より豊かなことだ」を実践するモダニズム建築である。間取りは簡素で開放的なリビング兼ダイニングで南半分を占め(材質は違えど、前川國男自邸を思い出す)、背の高い掃出窓から庭を眺める構造は、中国的な庭園設計を引き継いでいる。一方、ベッドルームはひっそり奥まった場所に配置され、さらに王の代名詞といえる「月洞窗(満月に穿たれた窓)」が、建物全体にアクセントを添えている。残念ながら本建築は現存しないが、美術公園(台北市立美術館そば)に再建されることが決まっている。

また現存する「虹廬〔ホンルー〕(「虹の家」アパートメント)」は、台北で初めての集合住宅、かつ高層(四階建て)マンションであった。ファサードは、王がよく用いる非対称H型のモチーフである。上層階を訪れるとき、階段が折れるごとに外光が入ってはまた暗くなり……を繰り返す感覚は、四合院などの家屋で門・戸をいくつもくぐってうちへ入っていく感覚を再現したものとされる。伝統的平面空間を垂直にしたわけである。また三方を壁に囲まれたエントランス(前庭)は伝統的な吹き抜けを模しており、上の階の住人はインターホン以外に直接吹き抜けから来客に声をかけることができた。ちなみに一階は王大閎の自宅であった(今はレストランになり、面影はない。)

彼の全盛期は1950-60年代であった。経済成長が始まったばかりの台湾で、シンプルさと機能性を追求するモダニズムと中国の伝統的な生活様式・建築美学の融合を目指し、数多くの住宅および公共建築を手がけていく。
とはいえ、挫折もあった。1961年故宮博物院のコンペでは一位になりながら、実施案の設計はほかの建築家に譲った(王の案はまるで正倉院のようなシンプルな外観で、ガラスのカーテンウォールを用いている)。また現在では彼の代表作として知られる国父紀念館もまた、本書掲載の当初案と現存の建物とのあいだに大きな違いがある。特徴的な「スカートがはねたような屋根」は、当時の総統・蒋介石との長いせめぎ合いのすえの妥協であったという。中国風の建築物を求める蒋にたいし、王は「長い革命のすえやっと中華民国を建国したのに、倒した清朝の建築に範を求めるのは国父(孫文)の意に沿うのでしょうか?」と諭したという。

王大閎は、40年以上の建築家人生で100棟以上の建築物を残し、台湾建築の基礎を作った。2006年には回顧展「久違了,王大閎先生(お久しぶりです、王大閎さん)」が開かれ、2009年には国家文化芸術賞受賞を受賞した。

安藤忠雄の亜洲大学現代美術館、伊東豊雄の台中メトロポリタンオペラハウス、藤本壮介の台湾タワーなどの日本人建築家の作品で注目される台湾だが、この本から、台湾人自身による近代建築の歩みをその人と作品(写真、図面、模型)を通じて知ることができる。「今たしかに建築家の頭数は揃っているようだ。でも、王大閎がとうの昔にいたことを我々は忘れている」(本書序より)

目次 
第一章
序「モダニズム建築の台湾への移植」夏鑄九
王大閎インタビュー「スカートがはねたような屋根をのせて」(聞き手:成寒)
前書き「作品の根っこにはその”人”がある」徐明松

第二章 住宅作品
(発表年/作品名)
1945年 城市中庭住宅(中庭のある都市住宅)
1946年 「文明的沐浴與沉浸的冥思」(浴室設計プラン「文明の沐浴と沈思」)
1953年 建國南路自宅(王大閎建国南路の自宅)    >作品を見る
1953年 日本駐華大使官邸
1964年 虹廬(「虹の家」アパートメント。王大閎済南路の自宅)>作品を見る
1965年 臺灣銀行臺北宿舍(台湾銀行台北宿舍)
1970年 良士大廈(良士アパートメント)
1973年 淡水假日自宅計畫案(王大閎淡水の別宅設計プラン)
1977年 張群宅(張群[政治家・国民党元老。戦後は総統府秘書長(官房長官に相当)]氏自宅)
1979年 弘英別墅(「弘英」アパートメント)

第三章 公共建築作品(発表年/作品名)
1961年 臺大禮堂周邊規畫案與第一學生活動中心(台湾大学講堂周辺プラン及び第一学生センター)
1961年 故宮博物院競圖計畫案(故宮博物院コンペ案) >作品を見る
1963年 淡水高爾夫球場俱樂部(淡水ゴルフクラブ)
1963年 臺灣大學法學院圖書館(台湾大学法学部図書館)
1965年 國父紀念館競圖計畫案(国父紀念館コンペ案) >作品を見る
1966年 亞洲水泥大樓(アジアコンクリート本社ビル)
1972年 外交部大樓(外務省ビル)
1972年 鴻霖大廈(鴻霖オフィスビル)
1974年 中央研究院生物化學研究所
1977年 慶齡工業研究中心(台湾大学厳慶齢[企業家。裕隆汽車創業者]記念研究センター)
1980年 東門基督長老教會(東門キリスト教長老派教会) >作品を見る

その他の作品
1965-69年 登陸月球紀念碑計畫案(月面着陸記念碑プラン)
1966-77年 杜連魁(オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』翻訳)

付録
作品リスト(年表)、作品マップほか

著者
徐明松(シュー・ミンソン/じょめいしょう)
建築史研究者、建築・都市評論家、銘伝大学建築学部専任講師。1987年淡江大学建築学部卒業、1997年国立ヴェネツィア建築大学大学院修了。イタリア共和国国家公認建築家。主な著作に『柯比意:城市、烏托邦與超現實主義(ル・コルビュジエ 都市、ユートピア、シュールリアリズム)』(田園城市)、『靜默的光,低吟的風:王大閎先生(静かな光、密やかな風――王大閎さんへ)』(共著、遠景)、『蔡柏鋒:不帶偏見的形式實驗者(蔡柏鋒 偏見を持たぬフォルムの探求)』(木馬文化)。
 

 

本書の日本語版の刊行予定はまだありません。
この紹介記事・訳文は権利者より許諾を受けて制作・公開しています。
ご意見・ご感想は、聞文堂LLCまでお寄せ下さい。
http://motto-taiwan.com/aboutus/

執筆者プロフィール

天野健太郎(あまの けんたろう)
1971
年、愛知県生まれ三河人。京都府立大学文学部国中文専攻卒業。2000年より国立台湾師範大学国語中心、国立北京語言大学人文学院へ留学。帰国後は中国語翻訳、会議通訳者。聞文堂LLC代表(ツイッターアカウント「 @taiwan_about 」)。台湾書籍を日本語で紹介するサイト「もっと台湾(http://www.motto-taiwan.com )」主宰。訳書に『台湾海峡一九四九』龍應台著(白水社)、『交換日記』張妙如、徐玫怡著(東洋出版)、『猫楽園』 猫夫人著(イースト・プレス)。『日本統治時代の台湾』陳柔縉著(PHP研究所)。俳人。