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報道とは何事かを知らせる筋道のこと。
台湾のことを日本に伝えるには、背景知識が必要です。
この連載では、ジャーナリスト・野嶋剛さんお薦めの作品を
ご紹介いただきます。

陸伝傑『被誤解的台灣老地名』(遠足文化、2014年)

文=野嶋剛

台湾にいたとき、総統府の前で開かれる抗議デモや選挙集会の取材に出かける機会がたくさんあった。取材に行くときはたいていタクシーを使うので、運転手さんに「凱達格蘭大道」と行き先を告げると、発音も良くないせいか、「は?」という顔をされることが多かった。「以前的介寿路(昔の介寿路です)」と言い直すと、たいてい分かってもらえた。そのうち面倒くさくなって「凱達格蘭大道」とは言わなくなり、「昔の介寿路で、総統府の前へ」と最初から説明をするようになった。

 介寿は蒋介石の長寿を願うという意味で、1945年に国民政府が台湾を接収したあとに付けられた名称だ。日本統治時代以前は東門街と呼ばれていたという。陳水扁・台北市長時代の1996年に「正名(正しい名前に戻す民進党の運動)」の一貫として変更されたのだという。「凱達格蘭」は、台北地区で最初に生活を始めた平埔族の一つ、凱達格蘭〔ケタガラン〕族から取られた。
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 本書『被誤解的台灣老地名(誤解される台湾の古い地名)』では、こうした台湾の地名をめぐる由来や経緯が一つずつ、台湾の古地図などをひもときながら、詳しく解説されている。昨年秋に本を購入してから半年ほど本棚に放置しておいた。日本にもよく「地名考」という類いの本があるので、その手の本かと思い込んでいたこともあった。しかし、3ヶ月ほど前、台湾の地名について調べる必要があって手に取ると、一気に引き込まれてしまった。単なる地名のうんちく本ではなく、地名を巡る歴史物語が詰まった良書だった。
 著者の陸伝傑〔りくてんけつ〕という人は以前、『大地地理雑誌』(という雑誌の編集長を務め、『図説台湾地名故事』(遠足文化、2013年)という共著も出した地名スペシャリストである。

 漠然とだが、台湾の地名は、大陸のそれとは違っていることは気づいていたが、ただ、あくまでも地域性の問題だという程度に考えていた。しかし、本書を読んで初めて明確に認識させられたのだが、台湾の地名は、ほかの中国などとはかなり異なる経緯で決められているのである。
 台湾の地名はもともと先住民族であり、文字を持たない平埔族の発音がその成り立ちにある。それが、台湾にきた漢人の移民によって文字化され、そのあとに台湾を統治した日本人が手を加え、さらに戦後台湾にやってきた国民党政権によってさらに手が加えられるという四重構造になっている。

 台湾の地名の変遷でよく知られているのは、北部の基隆と南部の高雄だ。そのことも、この本を読むと詳しい事情が分かる。
 基隆の古名は鶏籠である。それを変更したのは、清朝から初代台湾省巡撫(知事)として台湾に派遣された劉銘伝〔りゅうめいでん〕だった。劉銘伝は当初、台湾の省都を台中に置こうとしたが、経済上の理由から台北に変更した。しかし、台北には物流上の難点があり、劉銘伝は当時鶏籠と呼ばれていた漁村に目を付け、名称を基隆に変更して港湾開発に着手した。
 鶏籠は、農村社会でよく見られる鶏をかこっておく籠である。基隆には、外形的に鶏籠によく似た山があったので、地名が鶏籠になった。分かりやすいが、あまりにありふれて土臭い名称なので、劉銘伝は嫌ったのだった。

 高雄はもっと複雑である。高雄の古名はよく知られているように「打狗」だった。平埔族の言葉で「TAKAU」は竹林や竹に囲まれた場所を意味する。平埔族のあるグループが高雄一帯を支配しており、その土地を「TAKAU」と呼んでいたので、発音を閩南語(台湾語)の表記「打狗」に変えたのである。
 日本統治時代になり、高雄一帯の港湾開発を大々的に進めることになり、1920年に市に昇格させ、名称も「TAKAU」に似た高雄に変更された。打狗という名称が決して聞こえが良くないこと、日本にも京都に高雄という名称の地域があることなどが理由になったと本書は説明している。

 国民党政権も「高雄」の名称は中国語的語感が悪くないと考えたのか、1945年以降も変更を行わず、今日まで、台湾第二の都市であり、アジア有数の港湾として、高雄の名称は世界に鳴り響いている。しかし、高雄の呼び方は、中国語(北京語)では「GAO XIONG(ガオション)」であり、閩南語では「 Ko-hiông(ゴヒオン)」となるので、本来の発音である「TAKAU」に近い「TAKAO」と呼ぶのは今日ではもはや日本人だけになってしまっていることも、大変に興味深い現象である。

 本書には、ほかにも「なるほど、そうだったのか」と手を打ちたくなるような知識が満載だ。例えば、台南にはなぜか「新営」や「柳営」など「営」がつく地名が多いが、これは鄭成功の軍隊の拠点が「営」と呼ばれていたことと関係している。また、台湾の地名で「屋」がつくものと「厝」がつくものがやけに多いと思っていたら、基本的にはどちらも同じ「家」や「集落」を意味するが、「屋」は客家語で「厝」は閩南語の違いがあるので、どちらの文字が使用されているかによって、閩南人と客家人の分布が分かるのだという。

 筆者にとって最大の発見だったのは、台北から基隆に向かう途中の道路上に「八堵」「七堵」「六堵」などの地名が次々と現れる理由で、本書によれば「堵」とは河の堤防を意味しており、過去、台湾北部では、基隆河など堤防が築かれた順番に「堵」の数字が増えていったと説明している。いつも通るたびに気になっていたので、ずいぶんすっきりした気持ちになった。
 本書は、ふだん何となく疑問を持っていても調べるところまで行っていなかった地名問題への「回答」に次から次への出会える一冊である。
 

 

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journalistPH野嶋剛(のじまつよし)
1968年生まれ。上智大学新聞学科卒業後、朝日新聞に入社。シンガポール支局長、政治部、台北支局長、朝日新聞中文網編集長などを経て、2014年4月からアエラ編集部。著書に『ふたつの故宮博物院』『謎の名画・清明上河図』『銀輪の巨人 GIANT』『ラスト・バタリオン 蔣介石と日本軍人たち』がある。