column_top_taiwan

「中華商場の子どもたち」

『天橋上的魔術師』呉明益著(夏日出版、2011年)

 文=天野健太郎

ぼくは、商店街の子どもだった。
日本のある地方都市を走る国道の両側にアーケードが続き、乾物屋、靴屋、呉服屋、食堂、電気屋、文具屋、理髪店、喫茶店、新聞販売店が軒を連ねた。そこから、元遊郭の料亭街へと続く路地を入っていけば、郵便局と鶏肉屋とコロッケ屋があって、やや奥まった八百屋中心の公設市場とスーパーを除けば、どれも個人経営の商店だった。うちは国道の角にある小さな花屋だった。
そんな、ぼくが遊び、そして働いた商店街は、市の中心(お城と百貨店)から少し離れた場所にあり、買い物客が途切れることのない一大商圏だった。ぼくは午後学校から帰ると、当たり前のように店番をして、仏花や墓花を売り(おつりを渡して、ありがとうございましたと頭を下げれば、よくお駄賃を貰った)、そして近場へ配達に行き、夜、ごはんをさっさと済ませて掃除をし、鉢植えを運んで店じまいした。無論その合間に、鶏肉屋でキリンレモンを貰ったり、バイト代でコロッケを買ったり、歩道橋を渡って向かいの乾物屋の息子と遊んだりした。職業と家庭とアイデンティティと金儲けが一致した幸福な時代の、なにもかも当たり前過ぎるような風景だった。

台湾の商店街の子どもたちも、同じようなくらしをしていたらしい。台北駅の先、台北城・北門あたりから西門町を経て、愛国西路まで続く中華路のど真ん中に(車道とかつてあった線路のあいだに)、コンクリート3階建てのビルが8棟立ち並び、そこに個人経営の商店がたくさん入っていた。その名は、「中華商場」と言う。ユニークなのは1961年に完成したあと、建物をつなぐ歩道橋が次々に架けられ、果ては中華路の向かいにあった百貨店や鉄道の向こうの西門町まで張り巡らされた。当時、流行最先端であったジーンズやレコードを売る店、多彩な中華の名店を目当てに来た買い物客で、騎樓(片持ちアーケード)や歩道橋の上は引きも切らなかったという。

歩道橋の魔術師
そんな中華商場を描いた小説がある――呉明益(ごめいえき/ウー・ミンイー)『天橋上的魔術師』(白水社より、2015年4月刊行。邦題『歩道橋の魔術師』)だ。1970年代生まれの子どもたちが商店街で遊び、働き、悩み、恋する姿が描かれ、それぞれの家で子どもたちの人生を変える事件が起こる。でもこの連作小説は、ただの懐古趣味的なジュブナイルではない。タイトルの通り、歩道橋には魔術師がいて、現実と少し異なる「本当」を見せてくれる。今、中年にさしかかった商場の子どもたちは魔術師のことを思い出し、そしてあのとき、自分の人生が決まっていたのだと気づくのだ……
無論、中華商場はもう存在しない(92年解体)。でも、あの時代を生きた子どもたちの記憶はこうして小説となり、あの歩道橋とともによみがえる。

 
関連する内容を読む
台湾ブックセレクション#13 呉明益の作品概要
台湾ブックセレクション#14 呉明益作品の部分訳
 

コラム「臺灣~繁体字の寶島」のその他の記事
全記事のリストはこちら

プロフィール

天野健太郎(あまの けんたろう)
1971
年、愛知県生まれ三河人。京都府立大学文学部国中文専攻卒業。2000年より国立台湾師範大学国語中心、国立北京語言大学人文学院へ留学。帰国後は中国語翻訳、会議通訳者。聞文堂LLC代表(ツイッターアカウント「 @taiwan_about 」)。台湾書籍を日本語で紹介するサイト「もっと台湾(http://www.motto-taiwan.com )」主宰。訳書に『台湾海峡一九四九』龍應台著(白水社)、『交換日記』張妙如、徐玫怡著(東洋出版)、『猫楽園』 猫夫人著(イースト・プレス)。『日本統治時代の台湾』陳柔縉著(PHP研究所)。俳人。