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台湾史の多元性を象徴する鄭成功(1)

文=黒羽夏彦

台湾の古都・台南ではあちこちで鄭成功にお目にかかる。台湾鉄道の台南駅を降りれば、駅前ロータリーの真ん中に屹立する鄭成功像がお出迎え(日本統治時代には後藤新平の銅像がここにあった)。かつて台湾全土が戒厳令下にあった時代、国民党政権は求心力を高めるため蒋介石への個人崇拝を強め、それぞれの町の駅前や市役所前など目立つ場所には蒋介石の銅像があるのが普通だった。その点を考えると台南駅前の鄭成功像は例外的である。

台南駅の裏手にキャンパスが広がる国立成功大学の名称も、もちろん鄭成功に由来する(成功大学は日本統治時代の台南高等工業学校を前身とする)。台南の観光スポット、安平古堡〔あんぴんこほう〕と赤崁楼〔せっかんろう〕にも鄭成功の銅像がある。それぞれオランダ人が築造したゼーランディア城とプロヴィンティア城に起源を持つが、17世紀に鄭成功が攻め落として以降は鄭氏政権の拠点が置かれていた。

鄭成功の死後、彼を祀るため延平郡王祠〔えんぺいぐんおうし〕が創建される。延平郡王とは、明朝が滅亡した後にも抵抗活動を続けた皇族の一人、永暦帝によって鄭成功が封じられた爵位である。ただし、鄭氏政権は清朝によって滅ぼされたという経緯があるため、一時期はその目を憚って「開山王廟」という別称もつけられた。「山」とは暗に台湾を指しており、鄭成功は台湾開拓の始祖という位置づけになっている。

これにちなんで日本統治時代に延平郡王祠は「開山神社」と改称された。「日本人」以外で神道に祀られた稀有な例である。鄭成功の父親は福建出身の貿易商人・鄭芝龍〔ていしりゅう〕で、日本人の母親・田川マツとの間に日本の平戸で生まれたという出身背景があるため、日台の結びつきを強調する格好な宣伝材料とみなされたからである。なお、延平郡王祠では母親も祀られている。

「開山神社」と呼ばれた頃に建てられた鳥居が、実は現在も残っている。ただし、鳥居の一部が削られて中国風につくり変えられ、その上には国民党の党章が載せられている。「忠肝義膽」と刻み込まれた題辞は、1947年の二二八事件に伴う混乱を収拾するため台湾へ来た当時の国防部長・白崇禧〔はくすうき〕(台湾の著名な作家・白先勇の父親)の手になる。鳥居の改造には、政権が代わったことを台湾人に印象付ける意図があったと考えられるだろう。

このように見てくると、鄭成功に関わる史跡には時代ごとに異なった考え方が刻み込まれてきた様子がうかがえる。見方を変えれば、台湾史を特徴付ける多元的・重層的な性格が鄭成功という一人の人物に体現されているとも言える。

(続きます!)

 

 

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OLYMPUS DIGITAL CAMERA黒羽夏彦(くろはなつひこ) 台湾専門ブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」、書評ブログ「ものろぎや・そりてえる」を運営。1974年生まれ。出版社勤務を経て、2014年3月より台南の国立成功大学文学院華語中心へ留学。東アジアの近現代に交錯したさまざまな人物群像に関心を持ち、台湾に視点を置いて見つめ直したいと考えている。