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報道とは何事かを知らせる筋道のこと。
台湾のことを日本に伝えるには、背景知識が必要です。
この連載では、ジャーナリスト・野嶋剛さんお薦めの作品を
ご紹介いただきます。

「ひまわり」とは何だったのかを問いかける

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這不是太陽花學運 318運動全記録』(允晨文化、2015年)

文=野嶋剛

2014年3月から4月にかけて台湾で起きた「ひまわり学生運動」。日本において台湾のことに多少なりとも興味がある人ならば、この運動のことを知らない人はいないと思う。だが、より詳しく深く知ろうとしても、いまのところ、なかなかその術がないのが現実である。それは「ひまわり」とは何かという問題について、基礎的で包括的な解析を果たした書物がまだ日本語で出されていないことも少なからず関係している。

 一方、多少なりとも中国語の文献が読めて台湾での書籍を読み始めてみると、これはこれで迷路に迷い込んでしまう。なぜなら、書かれたものは多いのだが、「ひまわり」に関わった人々の背景があまりにも多様すぎるので、まさに「各説各話(みんな言いたいことを言い合う)」の状態になっているからだ。「ひまわり」とは何だったのかという問いに答えを出すことについては、台湾の人々はいまなお苦戦を続けていると言っていい。

 そもそも「ひまわり」を学生運動と言い切ってしまうことも正確ではない。それでは、社会運動なのかといえば、そうでもない気がする。人によって語られる「ひまわり」はまちまちで、それはある意味で、「ひまわり」が未完であることを示している。

 「ひまわり」については、書籍だけを挙げてみても、『318佔領立法院:看見希望世代』(奇異果文創、2014年)や『從我們的眼睛看見島嶼天光:太陽花運動,我來,我看見』(有鹿文化、2014年)、『受縛的神龍:太陽花學運的民主反思』(天下文化、2014年)などが出版されている。『318佔領立法院:看見希望世代』は、最も早い段階に書かれたものだけあって現場レポート的な内容で、分析や反省に乏しさが残った。『從我們的眼睛看見島嶼天光:太陽花運動,我來,我看見』は視覚的な資料としては豊富なものが提供されているが、若い世代の感性を強調しすぎており、浅さを感じた。『受縛的神龍:太陽花學運的民主反思』は、民主制度や法治、自由主義経済などの論点を取り入れているが、陳長文という馬英九総統のアドバイザーでもある人物が筆者の一人であるだけあってそれなりに読ませるが、公民社会や学生のエネルギーやパワーへの分析が不足しているように思えた。総じていえば、どの書籍も隔靴掻痒〔かっかそうよう〕の印象が免れない。

 付け加えれば、日本で刊行された港千尋『革命のつくり方』(インスクリプト、2014年)も、日本語としては初めて「ひまわり」を紹介した単著であったが、「革命」をキーワードにすることに意識が行き過ぎているようで、運動に対する客観的な描写が多くなく、「ひまわり」理解には物足りなさを感じた。
 「ひまわり」理解が難しい理由は、多くの異なる目的を持った人々(反馬英九、反国民党、反中、反サービス貿易協定、反自由貿易、反社会格差)の集合体であったゆえに、その定義に苦心していることと関係している。
 運動の成果については「サービス貿易協定」の締結を事実上の無期延期に追い込み、馬英九政権の信頼度を大きく損ない、中台関係を停滞局面に追い込んだという点で、ほぼ、これらの多様な勢力がそれなりに満足する結果を得ている。この点については誰も異論がないだろう。だが、台湾研究の立場からして興味があるのは結果以上に過程なのである。

 本書は、これまでの「ひまわり」関連の書籍のなかで、最も運動を総体として記述したものであるように思えるし、その意味では、待望の刊行と言ってもいいだろう。
 本書の執筆者は学者やジャーナリストら4人からなる。企画したのは「想想論壇」という、民進党の蔡英文主席が創設した小英教育基金会であるから、政治色は当然馬英九政権に批判的なのだが、内容自体はかなり客観的に書かれている。

 私が食い入るように読まされたのは、職業柄かも知れないが、メディアの報道を定量的に分析した「媒體。諸神的戰爭」のパートだった。「ひまわり」は、テレビ、新聞などのオールドメディアと、若者たちが自ら立ち上げたニューメディアの発信力の優劣が試される場でもあった。運動のなかで、若者たちは自ら情報発信のプラットフォームを立ち上げて、24時間形式で情報を発信し、参加者自らが記者となって内部の様子をレポートした。これに対し、メディアも大量のリソースを投入して現場の熱気を報じようとした。その新旧対決が詳細に描かれていてたいへん読み応えがある。

 また、同書によれば、運動の場で最も排斥されたのは、旺旺に買収された「中天テレビ」の記者たちだったという。「ひまわり」に対する報道では、台湾のメディアは完全に「支持派」と「反対派」に分断されていたことが本書では克明に描かれている。例えば、3月19日から4月11日までの運動期間中の24日間にわたって各新聞の社説タイトルを分析したデータが紹介されていたが(リンゴ日報はいわゆる社説がない)、中国時報は13本が「ひまわり」批判で、3本が馬英九政権批判、3本が民進党批判だったという。一方、聯合報は11本が「ひまわり」批判、馬政権批判は6本、民進党批判は3本だった。これに対し、自由時報は22本が「ひまわり」支持(馬政権批判も含む)の社説だった。
 台湾のメディアの「ひまわり」に対する評価が、いかに分裂していたかよく分かる。そして、「自由時報」国際社会の「ひまわり」に対する高い評価と比べて、結果としてみれば、中国時報、聯合報の国民党寄りのメディアは「ひまわり」を過小評価し、国内の読者や国際社会の見方とも分断されていたのだ。
 こうした細部に対する検証は、当時、現場に長期滞在できなかった身にとっては、当時の「温度」を知るうえで非常にありがたいものだ。

 結論部分の「結語。」では、「ひまわり」参加者に対するバックグランドの調査(対象約千人)が紹介されている。それによると、学生は56%、非学生は54%だった。女性は51.8%に達した。93%以上が専門学校以上の学歴を持ち、大学学部生は73%、修士課程は17.2%、博士課程は0.7%だった。意外なのは人文系の学生は15.6%だけで、理工系の15.2%とあまり変わらない。これだけみても、「伝統的な学生運動」としてひとくくりにはできない運動だったことが分かる。

 「結語。」では、さらに、いくつかのパートに分けて、「ひまわり」の与えた影響について整理された分析を試みている。
 対外関係的には、米国ではその前の時期まで「台湾不要論」が語られていたが「ひまわり」後はアジア政策の見直しを迫られた。中国の習近平政権も国民党、民進党の二大政党だけではなく、民間のパワーにも目を向けざるを得なくなった。また、香港の「オキュパイド・セントラル」運動にも少なからず影響を及ぼした、としている。
 さらに台湾内部では、国民党の馬英九・金溥聡体制の頑迷で鈍い対応を世の中に明らかにし、2014年末の統一地方選の大敗北につなげ、行政院長の辞任、馬英九の国民党の辞任などにつながったと分析している。民進党に対しても、党内の世代交代を促し、ベテランの蘇貞昌に次期党主席への参戦を断念させ、蔡英文の党主席就任を助ける作用を生んだと分析している

 「ひまわり」に参加した若者の多くは、両親が従来の国民党支持層である公務員家庭の出身であるなど、従来の「ブルー(国民党系)とグリーン(民進党系)」という台湾の政治対立構造を超えていた。「私は台湾独立を主張する」とあっけらかんと台湾独立を語る若者たちであり、「自然独(天然の独立指向)」を示している、と分析している。これは私もまったく同感で、運動の参加者の若者たちが、運動現場に置かれた掲示板に「台湾独立万歳」と書かれた付箋紙を貼りまくっている姿に驚きを覚えたものだ。10年ほど前までは、台湾社会で独立の主張を若者がここまでオープンに語る姿は見られなかった。
 「ひまわり」の影響はいまも続いている。その本当のインパクトが最終的に確定されるのは、2016年1月の台湾総統選・立法委員選のダブル選挙の日からも知れない。この本をしっかり読み込んで、そのときまでに予備知識をできるだけ固めておきたい。
 

 

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journalistPH野嶋剛(のじまつよし)
1968年生まれ。上智大学新聞学科卒業後、朝日新聞に入社。シンガポール支局長、政治部、台北支局長、朝日新聞中文網編集長などを経て、2014年4月からアエラ編集部。著書に『ふたつの故宮博物院』『謎の名画・清明上河図』『銀輪の巨人 GIANT』『ラスト・バタリオン 蔣介石と日本軍人たち』がある。