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「家族と食べ物さえあれば、幸せだった」

『吃朋友』簡媜ほか著(印刻出版、2009年)

 文=天野健太郎

台北観光で夜市や、東区などの百貨店を歩けばすぐ感じることだが、台湾人は極めて消費力旺盛である。最新のスマホを手に歩きながら、食べ物や洋服をパッパと購入し、すぐカフェに入っておしゃべりをする。生活物価が安いとはいえ、それはガイジンの感覚であって、普通の人の稼ぎはその分少ない。でも彼らを見てると、金を使うことは(少額であろうと)楽しいことだ、と感じさせてくれる。洋服売りの女の子は、「台湾人は、宵越しの金は持たない」と笑っていた。
もっとも留学していたころ、一番身近な台湾人である中国語の先生とおしゃべりすれば、なにかと言えばすぐ、「台湾は貧しかったから」というセリフを聞かされた。でも、2000年代の台北でくらす外国人留学生には実感がまったくなかった。

幸い、貧しかったころの台湾を追体験させてくれる本があった。『吃朋友(友と食べる、友と語る)』簡媜ほか著(印刻出版、2009年)である。本書では、日本統治時代から戦後まで異なる年代に生まれた台湾人8人が貧しかった日々とかけがえのない家族について、食をキーワードに語るオーラル・ヒストリーである。bcover2013eatfriend
例えば、米軍による空襲真っ只中の彰化で生れた哲学家・楊茂秀〔ようもしゅう〕の物語。貧しい田舎では、豚の方が人よりいいものを食べていた。サツマイモだけはふんだんにあり、イモ粥はサツマイモが9、米が1の割合だった。病気になってもお金がなく、医者にかかることもないまま母は死に、家族は離散した。そんな彼が今、寒い雨の日になると思い出すのは、凍えた子供のために母がよく作ってくれた熱々の生姜湯であった。
それ以外にも、白色テロで入獄中、夢にまで見た母の味・牡蠣とへちまの煮物や、女手ひとつで6人の子供を育てあげた母が晩年(歯が悪くても大丈夫と)喜んで食べたカニ豆腐、毎年端午の節句には母が早朝から作り、父が汽車で熱々のまま台北まで持ってきてくれたちまきなど、家族と支えあって必死に生きる人生の節目や生活の折々には、食べ物が必ず登場した。悲しみも喜びも食とともにあり、「生きる」ことは「食べる」ことと同義であったのだ。
また食について語る本書は、同時に死について語る本でもある。彼ら(と彼らの家族)がどう食べ、どう死んだかが繰り返し語られ、その最後の別れの場面からは日本人といささか異なる民族性がかいま見える。が、紙幅がない。

本書ではオーラル・ヒストリーにあわせ、8人の思い出の味を料理研究家・黄照美〔こうしょうび〕が再現し、台湾各地で異なる家庭料理や、外省人がもたらした新しい風味まで、そのレシピもカラー写真入りで紹介している。帯文はこう書かれている。「よだれと涙が止まらない!」

 

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プロフィール

天野健太郎(あまの けんたろう)
1971
年、愛知県生まれ三河人。京都府立大学文学部国中文専攻卒業。2000年より国立台湾師範大学国語中心、国立北京語言大学人文学院へ留学。帰国後は中国語翻訳、会議通訳者。聞文堂LLC代表(ツイッターアカウント「 @taiwan_about 」)。台湾書籍を日本語で紹介するサイト「もっと台湾(http://www.motto-taiwan.com )」主宰。訳書に『台湾海峡一九四九』龍應台著(白水社)、『交換日記』張妙如、徐玫怡著(東洋出版)、『猫楽園』 猫夫人著(イースト・プレス)。『日本統治時代の台湾』陳柔縉著(PHP研究所)。俳人。