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「エッセイは難しい」

『目送』龍應台(2008年時報出版)

 文=天野健太郎

エッセイは難しい。売り込みと翻訳のことだ。
原理的に言って、小説はゼロから世界を構築し、100%完成した作品を読者に提供する。だから、何も知らない読者でも、イチから読めるし、どっぷり100%楽しめる。外国人の読者でも、である(翻訳する“だけ”で済む)。だから奴隷社会や、人殺し、宇宙旅行まで、何でも自由に書けるわけである。
その自由さ、完全性ゆえに小説は文学、ひいては翻訳文学の王道たりえるわけだが、ところが、台湾の小説は日本でまったく受け入れられていない。原因は知らないが、厳然たる事実としてあったため、台湾書籍の翻訳を商業行為にするべく、一計を案じた。その結果が、龍應台『台湾海峡一九四九』である。つまり、歴史の力を――すでに構築されている現実を借りたのだ。日本の近代史は、台湾の歴史と重なっているのだから、きっと60%くらいの労力で読めるだろう。
もっとも、台湾の文学はエッセイが王道とされる。小説にしても、ゼロから構築というより、自分を書く(私小説)、時代を描く(ノンフィクション)アプローチが多く、100%の虚構世界を読ませる作品は少なかった。エッセイは、ある人の今の考えを、簡潔に伝えるもので、その人が属する社会、生活を読者が共有していることが必要になる。つまりは、構築済みの既存世界を出汁に、ちょっとスパイシーな自分の意見を付け足した20%が、その作品なのだ。

今(2014年10月)、翻訳真っ只中、〆切に追い込まれているのはその20%――龍應台のエッセイである。タイトルを『目送(父を見送る)』(2015年9月白水社より刊行)といい、台湾の友人たちが『台-』より感動した、泣けたと薦めてくれたが、エッセイなので(原著刊行は『台-』より先なのに)売り込みを後回しにしていたのだ。龍應台という人は、ベストセラー作家でなかったことがない人である。だから、さも当たり前のように、家族や友人、あるいは仕事のことや住む場所が出てきても、読者は知っているし、わからなくても許される。だが、常識(社会・生活)を共有しない日本人読者には当然、ピンとこない。そうなれば、ただ翻訳する“だけ”では足らない。おもしろみ(個・考え)を引き立てる常識を補って……、でも、エッセイは簡潔でこそ美しい。せめて30%までに留めたい……と、この匙加減が難しいのである。musong
幸い、龍應台には、同時代的センスがあって、異なる常識を描いていながら、その個の考えは現代の日本人読者と通じ合う。『台-』の原点となる父の老いと死、家族や友人の喜怒哀楽、さらに台湾社会と世界情勢にたいするスパイシーな意見まで、常にそれが“当たり前”のものではないと、ゼロから世界を見る。それは彼女の作家としての正しさなのだ。

 

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プロフィール

天野健太郎(あまの けんたろう)
1971
年、愛知県生まれ三河人。京都府立大学文学部国中文専攻卒業。2000年より国立台湾師範大学国語中心、国立北京語言大学人文学院へ留学。帰国後は中国語翻訳、会議通訳者。聞文堂LLC代表(ツイッターアカウント「 @taiwan_about 」)。台湾書籍を日本語で紹介するサイト「もっと台湾(http://www.motto-taiwan.com )」主宰。訳書に『台湾海峡一九四九』龍應台著(白水社)、『交換日記』張妙如、徐玫怡著(東洋出版)、『猫楽園』 猫夫人著(イースト・プレス)。『日本統治時代の台湾』陳柔縉著(PHP研究所)。俳人。