IMG_1022楊照(ようしょう/ヤン・ジャオ)
1963年花蓮生まれ、台北育ち。作家、文学・政治評論家、ジャーナリスト。台湾大学歴史学部卒業、米国ハーバード大学修士。以降作家活動に入る。同時に『新新聞』編集長、遠流出版編集統括、台北藝術大学講師、現在はNews 98新聞網のラジオ番組「一點照新聞」の司会などを務める。
主な著作に、長篇小説『吹薩克斯風的革命者(サックスを吹いて革命を)』(2002年)、中短編小説集『紅顏(少年時代)』(1992年)、『背過身的瞬間(振り返るとき)』(2006年)、エッセイ集『軍旅札記(従軍ノート)』(1987年)、『迷路的詩(迷子になった詩)』(1996年)、『為了詩(詩のために)』(2002年)、『我想遇見妳的人生:給女兒愛的書寫(きみに会いたい―娘との愛のノート)』(2011年)、『尋路青春(青春を探して)』(2012年)、文学・文化評論集『文學、社會與歷史想像-戰後文學散論』(1995年)、『十年後的台灣』(2005年)、『理性的人』(2009年)、『霧與畫:戰後台灣文學史散論』(2010年)、『永遠的少年:村上春樹與「海邊的卡夫卡」』(2010年)、『馬奎斯與他的百年孤寂:活著是為了說故事(マルケスと彼の百年の孤独)』(2012)、さらに馬家輝(香港)、胡洪俠(中国)との共著『對照記@1963』(2012年)、翻訳・注釈でヘミングウェイ『老人與海』(2013年)、音楽評論『想樂:發掘五○首古典音樂的恆久光彩(音楽を楽しみたい)』など、著作は70冊以上。さらに龍應台『野火集』、呉明益『複眼人』、松本清張『松本清張短篇傑作選』、トルーマン・カポーティ『冷血』など数多くの作品に推薦序・解説を書いている。聯合報小説賞、呉濁流文学賞、呉三連文学賞、中国時報十大好書など受賞多数。
フェイスブック:https://www.facebook.com/yangzhao1963

リンク
『迷路的詩(迷子になった詩)』(2011年、新経典新版)
http://www.books.com.tw/products/0010502692
『尋路青春(青春を探して)』(2012年、天下雑誌)、
http://www.bookzone.com.tw/event/LC070/index.asp

楊照作品の部分訳を読む>>>
台湾ブックセレクション#55楊照「戦争は終わっても惑いは終わらない――呉濁流『アジアの孤児』を読みなおす(仮題)」部分訳1
台湾ブックセレクション#56楊照「戦争は終わっても惑いは終わらない――呉濁流『アジアの孤児』を読みなおす(仮題)」部分訳2


読みどころ:
 文学評論、政治評論、小説、エッセイ、翻訳と多彩な才能を発揮する楊照だが、とりわけ1970-80年代の青春時代を描いたエッセイが愛されている。ここでは、著者の高校時代の初恋と反抗、そして文学の目覚めを描いた『迷路的詩(迷子になった詩)』と、さらに70年代の台北と青春の記憶を綴った『尋路青春(青春を探して)』を紹介する。

『迷路的詩(迷子になった詩)』
 詩を書くのをやめたのはいつだ? あれは、美麗島軍法会議があった年だ……。それまで、70年代が終わる何年か――十代の少年時代には、多少マシと言える詩をいくつも書いいていたが……。それはまさか、美麗島事件とつながっていた。詩はそれほど政治的であったのだ。自分でもそれまで知らなかった。文学、とりわけ詩が現実の、とりわけ政治の影響を受けるとは……。文学は、我々に現実を超越させ、永遠に追いつくための心の扉だと思っていた。ところが新聞で、軍法会議の傍聴記録をつぶさに読むにつれ、ぼくの鼓動はもはや、詩のしっとりゆるやかな韻律と重ならないように思えた。――それからずっと詩を書いてない。
 惑いのなかにいたぼくは84年、楊牧〔ようぼく〕の詩「道理と正義についてある人に問われた(有人問我公理與正義的問題)」を読み、涙を流した。「そのときぼくは、荒地のような詩の、詩人の本質を知ったから。詩人は、一番簡単な道理と正義についてさえ、答えを出すこともできない。」

 ぼくは、1977年の台北を思い出した。アメリカ軍事顧問団があった圓山と林森北路以南の日本時代から残る古い町をつなぐ中山北路・晴光市場付近で育ったぼくは、「中国青年反共救国団」の雑誌に自作の詩が掲載されたので、それまで一度も足を踏み入れたことがなかった敦化北路まで原稿料を取りにいくことになった。姉といっしょにバスに乗り、幅が70メートルもある並木通りで下車すると、車の通行量は多いものの、中泰ホテルとその向かいの台塑ビル以外はがらんとして、吹きさらしだった。名前もない眷村を抜けると突如、松山空港があらわれ、中央分離帯に「Welcome to Taipei」とペンキで書かれた木の看板が立っているのが見えた。あまりに見慣れぬ場所で、方向を間違えたと気づいて、取って返そうとすると、つんざくような警笛が鳴った。走る車の窓から憲兵が、ぼくらに「止まれ!」と叫んだ。姉の顔が真っ青になった。歩道には、ぼくら以外誰もおらず、しばらくすると憲兵の車もどこかへ消えた。3分ほどたったころだろう。飛行場から豪華な黒塗りの車が列をなし、肩で風を切るようなバイクを先頭に走ってきた。どの車も先頭に青天白日満地紅旗を2本なびかせていた。予期せぬその壮観な情景に、ぼくは足が震えた。
 「ぼくがそれまで知っていたのは、日本式の台北であり、また米軍式の台北であった。ところがこのとき、ぼくは初めて、ここが中華民国の台北であるのだとしっかと知らされた。強権政治のその中心が、黒塗りの車に乗って、ぼくの目の前をゴーッと通り過ぎていった。」(「限られたあたたかさのなかで(在有限的温暖裡)」より)

このほか、台北のエリート校・建国高校在校中の校内新聞発禁事件、混乱と憂愁に満ちていた80年、Yに渡したラブレターのような詩、(「迷子になった詩」)、永康街近くの書店でZと語ったサルトルの死、実存主義、そして彼女の体温(「1980備忘録」)……。戒厳令下の青春と恋を生々しく描く17篇のエッセイ。1996年に刊行され、文学青年たちのバイブルとなった名作が15年ぶり、待望の再刊。

『尋路青春(青春を探して)』
 あの年、中華商場のずらっと長い建物はまだあって、台北を切り裂くように走る鉄道もまだあった。うちの家は中華路から遠かったが、でも母の誕生日のようなお祝いの日には必ず、一家揃ってタクシーに乗り、武昌街にあった「好味道排骨大王(豚のあばら肉ステーキ)」へ行った。そこの鶏ももは、子供だったぼくが考えうる限り最高のごちそうだった。そんな、年に一回のぜいたくのあと、ぼくらは中華路のほうへ歩いた。角にはきらびやかな「第一百貨店」があった。
 子供のころは知らなかったが、「好味道」の隣は文学者が集まる名喫茶「明星」で、その軒先で詩人・周夢蝶〔しゅうむちょう〕が本を売っていたはずだ。高校生になって、さまざまな文学書からそのことを知り、詩集を買いに出かけるようになった。でも、いつも隣から漂ってくる「好味道」の香りに惑わされ、鶏もも麺にするか詩集にするか迷い(両方手に入れるお金はなかった)、毎回最後は詩集を選び、いかにも金に無頓着そうな詩人に代金を手渡すと、逃げるようにしてその場を離れた。

 中華商場のレコード店では、初めてのクラシックレコード――ベートーヴェンの「田園」を買った。当時、中華商場と士林文林路には、たくさんのレコード店があった。士林のほうは海賊版のポップスばかりだった。商場のレコード店にはところどころ、クラシックの外盤が交じっていて、1枚200元もした。200元で、ポップスのレコードが10枚は買えたはずだ。
 中華商場を歩いていると、いつも奇妙な考えが浮かんだ。汽車が通過していく。軒先を歩いていて、速度を徐々に緩めていく列車を見るとき、窓のなかの顔がどんどんはっきり見えてきて、ぼくはジリジリした――もしかして次の瞬間、汽車の窓のなかに、ぼくと同じ顔があるのではないか? そうして、汽車が走り過ぎてやっと、この世界にぼくはひとりしかいないと安心して、いつまでも歩き終わらない中華商場を歩き続けた。(「鶏もも麺、詩人、レコード店(「好味道」、周夢蝶、唱片行)」より)

 このほか、生まれ故郷の花蓮、子供時代駆けまわった台北・雙城街界隈、音楽と出会った新生北路、華やかな映画の街・西門町、本を漁った重慶南路……そして陳映真〔ちんえいしん〕や宋澤萊〔そうたくらい〕など読書遍歴と家族や友人たちの思い出を織り交ぜて語る都市の記憶。自身の少年時代と青春時代をやさしくたぐり寄せた54篇のエッセイ。
 

 
本書の日本語版の刊行予定はまだありません。
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