原題: 「戰爭結束 困惑沒有結束──重讀吳濁流的『亞細亞的孤兒』」

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訳=天野健太郎

 戦争が終わって60年になる(訳注:2005年掲載)。しかし台湾人が、そのアイデンティティとのあいだに繰り広げてきた奮闘は100年を超えてなお続いている。この節目のときにあらためて呉濁流1の小説『アジアの孤児』を読み直すことで、わたしたちは、台湾の歴史における継承と断絶について、新たな視野を得ることができるのではないだろうか? 戦争とは、外から見れば大きな歴史の段階的変化であるが、その奥底に台湾で世代を超えて続くアイデンティティの不確かさという、断ち切ることのできない連続性を見出せるのではないだろうか。

 何年も前のことだが、郷土文学論争のおかげで、わたしは日本統治時代の台湾文学の存在に初めて気づいた。最初に、台湾大学の向かいにあった香草山書店で楊逵〔ようき〕の『鵞鳥(がちょう)の嫁入り』を買い、さらに露天の古本屋で呉濁流の長編小説『ポツダム科長』を発見することができた。もっともどちらも部屋の本棚に積んだまま、手に取ることはずっとなかった。あの時代、読むべき重要な本は、ほかにいくらでもあった。

 その後、ある雑誌でひとつの事実を知った――呉濁流作品集第3巻『ポツダム科長』は発禁書だったというのだ。自分の本棚にまだ読んでない発禁書がある! なんという迂闊! わたしは、ほかの本を放っぽり出して『ポツダム科長』をむさぼり読んだ。

 ――こんな小説があるなんて! 強く印象に残ったのは、呉濁流の熟練した写実的手法ではなく、小説に描かれた時代だった。人がさも当然のようにスパイか汚職官吏になってしまう、そんなおかしな時代。作品に描かれていた台湾と、自分が理解していた台湾とのあいだには、天地ほどのギャップがあった。

 そのギャップは、わたしに拒絶反応を起こさせるどころか、むしろ強く惹きつけた。わたしは次に、彼の作品でもっとも有名な長編小説『アジアの孤児』を読み始めた。『アジアの孤児』の第2巻冒頭、主人公・胡太明〔こたいめい〕は日本へ留学する。東京に住む親友“アオ”の下宿に身を寄せたとき、“アオ”は胡太明に向かって「突然声を落として言った。『君、ここでは自分のことを台湾人と言わないほうがいい。台湾人の話す日本語は九州訛りに似てるから、福岡か熊本出身だと言えばいい。』」ここまで読んで、活字を追っていた眼を動かすことができなくなった。

日本語経験
 その年、わたしは大学本部からほど遠い法学部まで行き、日本語の授業を取っていた。なぜなら法学部で教える日本国籍の女性教師は台湾大学でもっとも厳しく、またもっとも進みが速いと聞いたからだ。15歳から父に日本語の基礎を教わっていたわたしは、たかだか教養単位のために余計な時間をかける気はなく、毎週2回、わざわざ「南〇」系統のバスに乗って、その授業を受けに行ったのだ。彼女――豊地先生が使っていたのは、極めてオーソドックスな古い教科書で、外来語なんてほとんど出てこず、一方で授業進度は飛ぶように速かった。いまでもよく覚えているが、一学期の終わり、大学本部で授業を受けていた同級生たちはまだ五十音を復習していて、一方、わたしたちの期末テストには、「青森県の天気予報」という長作文問題が出題されていた。

 同級生たちはあまりの出来の悪さに顔を真っ青にしていたが、わたしはたやすく満点をとり、学期を終えた。しかもその成績のおかげで、予期せず優秀学生賞まで貰ったりした。二学期になり、豊地先生にも覚えていただいたようで、授業開始早々名前を呼ばれ、教科書を朗読するよう言われた。読みながらわたしは、先生の表情に表れた、四コママンガのような変化に気づいた。最初は驚き、そしておかしさが徐々にこみ上げて、肩を震わせると、ついに先生は手のひらで口を押さえた。教科書は読み終えたものの、先生は話し出すことができず、わたしもクラスメートもきょとんとするよりほかなかった。やっとのことで平静さを取り戻して説明するには、わたしの日本語の発音は、かなりきつい戦前調であるとのことだった。戦争が終わって、もう30年が過ぎ、そんな喋り方をする人は日本でもいない。最悪だったのは、わたしの日本語にはさらに九州訛りがあることだった。先生は、ときどき四声が曖昧になる中国語でやさしく言った――「目の前にいるのは若い男の子なのに、聞こえてくるのは熊本かどこか田舎のおじいさんが喋ってるみたいで。ごめんなさい。どうにもこらえられなくって。ごめんなさい」

 わたしの戦前調で九州訛りの日本語は、もちろん父から習ったものだ。しかしそれは父ひとりの訛りではなかった。『アジアの孤児』ははっきりこう書いているではないか――「台湾人の話す日本語は九州訛りに似てる」と!

(続きます!)
 

 

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台湾ブックセレクション#54楊照の作品概要

  1. 呉濁流(1900-1976)小説家。新竹生まれ(客家人)。1920年台北師範学校卒業後、公学校の教員を務め、41年より南京『大陸新報』、44年より台湾『台湾日日新報』で記者。36年短編小説「水月」を発表。46年に刊行された、日本統治時代の矛盾を批判する長編小説『アジアの孤児(当初の書名は「胡大明」)』(中国語翻訳版は62年刊行)を皮切りに、48年刊行の外省人官僚の横暴を描いた短編『ポツダム科長』、70年に刊行され即発禁となった、二・二八事件を描く長編『無花果』(88年再刊)、死後の87年、鍾肇政の訳で中国語版が刊行された、白色テロを描く長編『台湾連翹』など、最後まで日本語で小説作品を書いた。64年、私費で雑誌『台湾文芸』を創刊、その死まで後進作家を育てた。また漢詩集も多く発表している。
    リンク> http://literature.ihakka.net/hakka/author/wu_zhuo_liu/author_main.htm
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