宋澤萊(胡長松攝)著者紹介
宋澤萊(そう・たくらい/ソン・ザーライ)
1952年雲林二崙生まれ。台湾師範大学入学後モダニズム文学に傾倒した作品を発表し、創作活動をスタート。78年、貧農への経済搾取を描く短編小説「打牛湳村(牛が死ぬ泥の路という名の村)」シリーズで新しい郷土文学作家として注目を浴びる。79年短編小説集『蓬萊誌異(台湾異誌)』刊行(うち「傷」は『pen+』に日本語訳が掲載>部分訳を読む)。休筆を経て85年、放射能汚染にあえぐ近未来台湾を描いたSF長編小説『廢墟台灣』で復活。キリスト教に入信後、マジックリアリズムを標榜する『血色蝙蝠降臨的城市(血の色をしたコウモリがあらわれた都市)』(94年)など、農村の中学校で定年まで教員をしながら、多彩な作品を発表した。96年呉三連文学賞受賞。最新作は長編小説『天上卷軸』(2012)。『台灣文學三百年』など文学論、文学史論の著作も多い。
呉明益が、影響を受けた作家としてまず彼を第一に名前を挙げる。モダニズム文学と郷土文学を出発点にモダニズムとリアリズムを融合させ、多様なアイデアとスタイルで書き続ける「台湾文学の変化とその道筋を体現する」作家である。

『打牛湳村』、『蓬萊誌異』、『廢墟台灣』、『血色蝙蝠降臨的城市』は、2013年に前衛出版より再刊されている。
http://www.taaze.tw/sing.html?pid=1110068244402_蓬萊誌異

部分訳:
「傷」
(略)

もし屏東に行ったことがあるなら、きっと見渡すかぎりに広がる美しい草花や、ひょろっと伸びて続くビンロウの林を忘れることはないはずだ。屏東の風景はいつもそうやって、大自然に脈打つ鼓動と、繁茂する生命の広がりを感じさせてくれる。あれはそう、ぼくが10歳のときのことだ。いいかい、つまり20年前にあったことだ。10歳のぼくはとても元気な子供だった。屏東の美しい緑が、幼かったぼくの命をたっぷり満たしてくれていた。ある日ぼくは、村の裏にあった小川のほとりを歩いていた。この土地を潤す小川は、まるで深緑の絨毯のうえに敷かれた、つややかな絹のように流れる。小川の両岸には、たくさんのビンロウが重なり合うように植わっていた。バナナ畑が一列、二列と広がり、太陽の光が大地に注いでいる。ぼくはビンロウの足元を、食べられる野草がないか探しながら歩いた。朝の太陽がビンロウの葉の隙間からこぼれ、朝露をキラキラと輝かせていた。ぼくはいつしか、きよらかな鳥の鳴き声とそよそよ流れる水の音に引き寄せられ、川っぺりの石に座った。まるで自然に起こる奇跡を覗き見しているようだった。そのときふと、ガサっという音がした。驚いて顔を上げると、小川の先に男がひとりいて、こちらに歩いて来るのが見えた。がっちりした体つきで、真っ黒な顔に亀裂のようなものがあった。ハンチング帽を、額が隠れ、耳が半分覆われるほど深く被り、目から下しか見えない。まるで頭が半分しかないようだった。ハンチングを風に吹き飛ばされたくないのか、男はずっと頭に手を置いて歩いていた。いやもしかしたら、もうそれがくせになっているのかもしれない。そこから手を離すことは絶対にないように……。彼はギラギラゆらめく目でぼくをじっと見ながら、大股で歩いて来る。ぼくは怖くなり、その場から逃げ出そうとした。ところがそのとき、巨大な手がぼくの腕をつかまえた。そしてうなるような声でこう言った。「坊主、許勇〔きょゆう〕の家を知らないか? 許勇ってやつ、知ってるだろう? 村の裏のほうに住んでいるはずだ。左足の指は3本しか残ってない。親指と人差し指がないんだ。銃撃かなんかでやられて。知らないか? 知ってるだろう?」
 ぼくは怖さに押しつぶされそうになった。でも「許勇」って名前を聞いたとたん、父さんだ、と思った。だから勇気を振り絞ってぼくは言った。「うん! おじさん、ぼくの父さんは許勇っていうんだ。足の指は7本しかない。ぼくたちはこの村に住んでるんだ!」
「ハハハ!」と、男は豪快に笑った。そして眉間をくしゃっとさせると、やさしい声で言った。「そう、お前のお父さんのことだ。許勇の子供はこんなに大きいのか。坊主、お前のうちまで案内してくれないか?」
 ぼくはびくびくしながら、その〝怪人”をつれて、ビンロウの林が尽きるところにある村へ歩いていった。(略)

※本作品は『pen+ 台湾カルチャークルーズ』に全訳文が掲載されています。
http://www.pen-online.jp/magazine/penplus/pen_plus_taiwanculture/