台湾文化をより広く、深く知っていただくために、台湾より講師をお招きして台北駐日経済文化代表処 台湾文化センターで行われている「台湾カルチャーミーティング」のレポートをお届けします。第1弾は台湾文学研究の第一人者・陳芳明〔ちん ほうめい〕さんです。2016年4月開催のテーマは「激動する歴史 外部から見つめる文学―台湾人作家たちの作品と人生」 。前日に出版関係者向けに行われたトークセッションも含めてのレポートです。

※11月5日にも台湾文化センターにて、台湾文学を語るトークが行われます。
「最新型の台湾文学2016――毒舌に愛をこめて」 作家、書評家・朱宥勳さんのトーク
詳細・予約は>http://jp.taiwan.culture.tw/information_34_54591.html

昨年末、日本語版が刊行された『台湾新文学史』の序言において、陳芳明さんは「台湾文学は台湾社会に最も近い知識学だ」と書きました。台湾の文学史を紐解こうとすれば、必然的に台湾社会が歩んできた道をなぞることになります。したがって、文学史と銘打ちながら、その実、陳さんは台湾の歴史を描き出すという壮大な試みに挑んだわけです。筆をとってから置くまでに、気づけば12年もの歳月が流れていました。
 
陳さんをして、そんな気の遠くなるような仕事に向かわしめたものは、いったい何だったのでしょうか。2日間にわたり台湾文化センターで開かれたトークイベントにおいて、その背景が語られました。

 出版・メディア関係者を集めた初日のトークで、陳さんがまず口にしたのは、後悔でした。陳さんが「真の」台湾史に触れることになったのは、アメリカへ留学してからのこと。1947年、奇しくも自身が生まれた年に起こった228事件を知るのも、ワシントン大学で当時の台湾の新聞を読んだことがきっかけでした。宋代史の研究をしていた陳さんは、中国大陸の過去には明るい自分が、現代の台湾については何ひとつ知らなかったという事実に目を開かれると同時に、「台湾の歴史」の存在にすら思い至らなかったことを反省し、大きく人生の舵を切ったのです。

 陳さんが渡米した1974年当時、彼の地ではベトナム戦争に対する抗議運動が盛んに行われていました。その言論の自由さもまた、陳さんを驚かせました。公の場で政府批判をするなんて、台湾ではとても考えられないことだったからです。

現に1975年、蒋介石が逝去したことを受け、陳さんも関わっていたアムネスティのニュースレターに、「蒋の息子(蒋経国)は相続税を払ったのか?」という記事を書いた知人が、政治犯として逮捕されました。さらに79年には、雑誌『美麗島』を発行していたメンバーらの主催するデモが警官隊と衝突し、関係者が次々に逮捕される「美麗島事件」が勃発。翌80年には、デモの中心人物のひとりとして投獄された林義雄〔りん ぎゆう〕氏の家族が、自宅で惨殺される事件(未解決)も起きました。

 林氏と台湾の未来や民主の希望について熱く語りあう仲であった陳さんは、この事件に人生で一番の痛みを味わわされました。もはや過去の自分は死んだ、新たな自分を見つけなければ生きていけない、と強く感じたといいます。

偶然にも家族と渡米中で難を逃れた『美麗島』代表・許信良〔きょ しんりょう〕とともに、海外にいてもできることをしようと、『美麗島週報』を創刊。博士号取得は放棄して、政治運動の道へ歩を進めます。それは同時に、故郷が遠ざかることを意味していました。反政府運動に関わったとして当局のブラックリストに載った陳さんは、その後長らく、台湾の地を踏むことを許されませんでした。

 故郷を離れている間に、陳さんは、必ずや台湾の歴史・文学史を書き記すのだと決意を固めます。海外で研究を進めるには多分に困難がありましたが、今自分がやらなければ、あたかも存在しないかのごとき扱いを受けている台湾の歴史・文学史が、このまま闇に葬り去られてしまうのではないかという危機感が、その背中を押しました。

そこでまず、日本統治時代の運動家で、台湾共産党のリーダーまで務めた女性・謝雪紅〔しゃ せっこう〕の評伝を書くことから始めました。彼女の人生を追いながら、日本共産党の影響を受けた台湾共産党と中国のそれとでは、成り立ちがまるで違うこと、ひいては台湾と中国の歴史はまるで違うものだとつまびらかにすることができました。台湾の歴史は中国の歴史の一部であるというプロパガンダに支配されていた当時、台湾には台湾独自の歴史があると示すことは大変な仕事でした。

 文学をめぐる状況もまたしかり。数多くの「台湾文学史」が中国で出版されましたが、それらはすべからく「中国文学史」としか呼べないものでした。さらに言えば、みな男性中心、漢民族中心、異性愛中心に編まれ、それ以外の作品は辺縁に追いやられたままでした。陳さんはそれら「無視された」作品にも光を当てることが自分の仕事だと考えます。
 
40年にわたる戒厳令が解かれてから2年が経った1989年、陳さんに初めて一時帰国が許されました。しかしアメリカのパスポートを使っての帰省で、滞在期間はわずかひと月。その後もしばらく状況は変わりませんでした。山が動いたのは、許信良に声をかけられ、民進党の宣伝部長に就任してからのこと。94年になってようやく、陳さんは中華民国の身分証を得て、故郷に永住することができるようになったのでした。

 2000年には、ついに史上初めての政権交代がなされ、民進党が与党の座につきます。機は熟したと、折しも陳さんが『聯合文学』誌上で「台湾新文学史」の連載を始めた翌年のことでした。fangmingr0014753ds

 それから12年をかけて織られた「台湾新文学史」において、陳さんは、1895年~1945年までを日本による「植民地時期」、1945年に国民党統治が始まってから87年に戒厳令が解かれるまでの期間を「再植民地時期」、それ以降を「ポストコロニアル時期」と、独自の歴史観で時期区分を定義づけました。また、これまでは無視されていた作品、すなわち女性文学、原住民文学、同性愛文学も織りこみ、台湾文学の多様性、豊かさを描き出しました。

2日目のトークでは、なかでも戦後の台湾文学を代表する作家と陳さんが評する、葉石濤と白先勇にスポットが当てられました。

葉石濤は1925年台南生まれ、228事件後の白色テロにより、3年服役した経験を持ちます。1987年の戒厳令解除直前、葉は『台湾文学史綱』を発表しました。そこに貫かれている葉の歴史観と視野の広さに、陳さんは感心します。

葉と面会する機会を得た際、戦前は日本語で執筆していた彼が、戦後どのように中国語で執筆しているのか陳さんが尋ねると、彼は言いました。まず台湾語で考え、それを日本語で書き、最後に中国語に訳すのだと。その答えには、葉と同世代の、ふたつの異なる時代を生きた知識人たち共通の苦悩がにじんでいました。困難な時代にあっても筆を折らず、あくまでも誠実に仕事と向き合って作品を発表し続ける強靭さに感銘を受けた陳さんは、思わず落涙しそうになったといいます。

 続いて紹介された白先勇は、1937年、中国江西省にて生を受けました。国民党の将軍・白崇禧を父に持つ白は、外省人の華やかな生活を見て育ちます。しかし『台北人』で彼が描いたのは、彼らが時代に取り残され、没落してゆく姿でした。それを読んだ陳さんは、本省人と外省人とは歩んできた道がまるで違うのだと改めて思い知りました。

 白にはふたつの大きな功績があります。ひとつは白の『遊園驚夢』という作品が舞台化され、劇中で歌われる崑曲の素晴らしさに感動した白が、保存・伝承活動に乗り出し、その結果、崑曲が無形文化遺産に登録されたことです。もうひとつは、同性愛をテーマにした小説を世に問い、同性愛に対する社会の見方を変えるのに一石を投じたことです。

しかし白に関して特筆すべきは、なんといってもその文章の美しさです。白の作品は、言葉の豊穣さ、文章の麗しさを存分に味わわせてくれるといいます。人の内面にひそむ喜怒哀楽を流麗に描くことにかけては、彼の右に出る者はいません。陳さんも大学時代、どうすればこのような表現ができるのだろうと、白の作品を楽しみに読んでいたそうです。

葉石濤と白先勇は、陳さんに台湾文学の豊かさや面白さはもちろん、人はみな平等であり、互いに尊重しあい、その存在をありのまま肯定すべきであると教えてくれたといいます。彼らの、そしてその他大勢の歴史のうねりを生き抜いてきた先人たちの教えは、陳さんが全霊をかけて著した『台湾新文学史』のなかに、確かに受け継がれていると言えるでしょう。同時に、陳さんの目は、すでに未来をも捉えていました。古くから移民で構成されてきた社会である台湾は、近年「新移民」と呼ばれる東南アジアからの移住者が増加しています。次は彼らが新しい文学をものするのかもしれないと、陳さんは話をしめくくりました。

トークの最後には、下村作次郎さんをはじめとする、日本語版の制作にたずさわった先生方が登壇。また質疑応答では、陳さんの熱のこもったお話に応えるように、両日ともたくさんの手が挙がりました。なかには葉石濤の研究をしているという方までいて、陳さんが励ましの言葉をかける姿が印象的でした。文学はこうして時代も政治も国境も超えるのだと、その力を改めて感じさせてくれた2日間でした。

 
 
 

イベント講師プロフィール 陳芳明(作家、台湾文学研究家)
fangmingp1000876ds作家、台湾文学研究者。1947年台湾・高雄生まれ。輔仁大学歴史学部卒業、国立台湾大学歴史大学院修士課程修了。大学時代より現代詩に触れ、文学批評を発表。74年よりアメリカ留学、現地で反政府運動に関わる。92年帰国。民進党広報部長を経て、95年より静宜大学文学部講師など文学研究の道へ。国立政治大学台湾文学大学院設立に参加し、2005年初代院長(研究科長)。文学研究以外に、多くの散文集を上梓するとともに、政治活動から身を退いた今も、歯に衣着せぬ評論で民主化の成熟を訴え続けている。主な著作にエッセイ集『夢的終點』、文学評論『孤夜獨書』、文学理論書『左翼台湾:殖民地文学運動史論』、『殖民地台湾:左翼政治運動史論』、『後殖民台湾:文学史論及其周邊(ポストコロニアル台湾)』、『殖民地摩登:現代性與台湾史觀(コロニアル・モダニティ)』、および評伝『謝雪紅・野の花は枯れず―ある台湾人女性革命家の生涯』(邦訳は社会評論社、1998年)、自伝エッセイ『昨夜雪深幾許。(生命の記憶――文学の熱が溶かす雪)』、『台湾新文学史』(邦訳は東方書店、2015年)など多数。

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執筆者プロフィール
中村加代子(なかむらかよこ)
不忍ブックストリート実行委員。
台湾人の母と、台湾人と日本人の間に生まれた父を持つ。
現在WEBサイト「trixistexts」に掌編小説を連載中。
http://trixistexts.tumblr.com/